小説3
投稿日: 2024年11月09日
三
これはほんの強がりだが、母子家庭だからと苦労した覚えはない。何が大変だったか、ゴキブリが部屋に出たときのことくらいしか思い出せない。
何せ、自分以外に対峙する人間がいないのだ。一度は見ないふりができても、必ずまた会う。後にも先にもゴキブリが出たのは一度だけだが、部屋中がスプレーでベトベトになり、死骸をつかむのにも覚悟が必要だった。これでよく人間に死ね死ね言っていたものだ。ゴキブリも殺せない自分に幻滅した。
もう一つあった。肩車とか体力系の育児はどうにもならなかった。公園で幸せそうな家族を見ると、自分を重ね合わせたりしてゾッとしたものだが、肩車されて喜んでいる子供を羨ましそうに見つめる娘には申し訳なく思った。やろうと思えばできたのかもしれない。でもおんぶすらすでに厳しかった私にはどうしても娘を抱えた腕を上にあげることができなかった。
肩車は夢にも出た。私の細い腕が折れて娘が落下して即死するという悪夢だ。
そんなことを日奈に話すと、
「じゃあ今度、旦那つれてくるよ。」
たまに日奈の家族がくると、存分に肩車してもらおうと思うのだが、自分のパパを私の娘にとられるとか思う子供たちと、それを気にしてか遠慮がちにちっとも喜ばない娘のギクシャクした関係は見るに忍びなく、いつも早々に解散してしまう。
やはり学生時代の友達はあくまでもお互いの家族抜きの付き合いが良い。子供が絡む大人の関係は子供絡みで作った方が良い。
とはいえ、私にはママ友がいなかった。保育園のイベントでその場その場の話し相手はいたとしても、休みの日とかにお互いの家に行ってパーティをしたり、どっかでお茶したり、そんなことがあって初めてママ友となるらしい。
私は9時出勤で良かったがーこれまた真面目な性格は相変わらずでー8時には会社の皆さんのコーヒーやら机を拭いたりするために7時には保育園を出発した。つまり朝は一番乗りのためほぼ誰にも会うこともなく、迎えも遅かったため数人の保護者としか面識がなかった。私はその方が楽で良かったが、後になって娘には文句を言われることとなる。
娘がマザコンになろうがどうなろうが、私にとってはまったく気にするようなことではない。私たちは二人きりで生きてきたわけではない。幸い、娘にはジジババもいたし、ものすごく世話になった。私が自分一人でやってきたなんてことは絶対にない。
「人は絶対に一人では生きていけないんだよ。」
昔、私を助けてくれたことになっている人が言っていた。
「絶対なんてないでしょ。」
一人で生きてる人だっているでしょ。そう言ってみたが、
「え、じゃあ有希が食ってるそのサンドイッチ、誰が作ったと思ってるの。」
そう、私はそれを娘に教えながら、いろんな人のおかげでこうやって生きてる。だからせめて自分しかできないことは精いっぱいやる。それだけだ。
毎晩毎晩、読み聞かせた絵本を年中になる前には文庫本にして、喉が枯れるまで読んで聞かせた。頭、良くなってほしいからね。娘は必ず「もう一回」と言うので、しまいには私が限界になり、
「もう寝ろ」
ってなって泣かせてしまったこともあった。
いつの間にか、娘は文字が大好きになった。漢字は読めないが一字一句を覚えてしまうーそのくらい読み聞かせた、か、娘が賢かったかーので、手抜きができなくなった。でもいつの間にか自分で黙読してくれるようになった。
今どきは、父の日も母の日も何もしない保育園もあるというが、娘の時は一応どちらもあった。正直、私は天堂のような男しか知らなかったので、毎回ちゃんとイベントに参加するお父さんたちを見ては、外面良すぎだろって心でけなしていたが、やはり「世の中はクズばかりではない」というのは真実で、心底イベントを楽しんでいる姿は、ちょっと良いなぁと思うようになった。
自己嫌悪に陥っても、娘が救い出してくれる。クリスマスのイベントでかわいい歌を披露してくれた最後に、せーの、
「ありがとお。」
で締められた直後の一瞬、
「おかあさん。」
娘だけが言葉を発したときは胸がキュンとなった。周りの保護者が羨ましそうに微笑んだのをどや顔で返したい気持ちをこらえて苦笑いした。
執拗に「パパいないの?」なんて聞いてくるクソガキには怒りを覚えたこともあったが、保育園のおかげで、私は仕事ができたし、無事に娘も成長した。離婚理由は話してきたが、娘が私―という人間―を理解できるようになるころには、
「結局、お母さんのわがままだったんじゃないの。」
なんて言うようになった。その都度、私は国民皆クズ説からの、国民一部クズ説を話し、どっちに転んでも娘が男嫌いにならない程度に説明した。娘にはそんな経験よりも、勉強して手に職つけて、自分の力で生きていけるように、それがどれだけ大変で、でも大切なことなのかを説いた。もちろん、子供が親の話なんかまともに聞かないのは知っているが。
本好きが高じて、その辺の大学の文学部ー私はそうなのだがーなんかに入るよりも、大学でしか専念できない勉強をするように、常に理系に関心が向くように言い聞かせた。ある意味、洗脳だ。もちろん文学好きなら、どうしても学びたいなら致し方ないが、本はいつでも読めるよね?という具合に、今度は数字に関心を持つように仕向けた。本はもうほっといても読むのだ。しかしほっといても算数ドリルはやらない。
幸い、真面目な性格は私と同じだった。私がいなくても学校の宿題だけはやっていたし、担任の先生にも良く褒められる子供だった。
「まわりがバカばっかで嫌だ」
そう言いだしたのはまだ2年にもならない時だ。恐ろしいのは勉強ができないバカ、ということだけではないのだ。私でさえ、小学生の時からそんなことを考えた記憶はない。今の子は―特に女子―大人びているから、子供みたいな男子をバカにすることは良くあることだ。でも、私のせいかもしれないなんてことを考えるといたたまれない。
自己肯定ができるのは素晴らしいことだ。でもこの狭い世界でうぬぼれても痛い。
娘をどっかの中高一貫校へ入れようと思い始めた。地元の中学では、私みたいな女が出来上がるかもしれない。結果的にはそれでも十分だったわけだが。
娘は中学受験した。
家から一番近い中高一貫校を目指して、家から一番近い中学受験塾に通っていた。正直、費用はかかるが放課後から夜の9時まで預かってくれて、勉強まで教えてくれるのだから高すぎることもない。それなりの民間学童保育に入れるにしても同じくらいかかるはず。
そして一度レールに乗ったら簡単には降ろしてもらえないのが中学受験だ。
真面目な親子は基本的には塾の言いなりだったが、世間が想像するようなハードな経験をしたわけではなかった。娘は、
「学校や塾で勉強してるのに家でまでやる必要ない。」
と言ってわりと家ではのんびり好きなことをしていたし、とにかく気まぐれに机に向かうスタンスだったので、結果しか見ない親は成績が落ちるとガミガミ言ったし、上がるとそれで満足した。夜はお互い帰ったら寝るだけだったので、あまり受験一色でもなかった。
それでも土日は遠くの教室まで送迎したり、弁当も必要だし、時には「一体、私らは何をやっているんだろう。」などと本気でやめてしまいたい気持ちを抱えつつも、娘に挫折してほしくない一心で、2年間を耐えた。
最終的には数回の挫折―不合格―を経験し、娘は無事に中高一貫校へ進学した。
例の家から一番近い学校にも受かったが、娘は遠くの偏差値の高い学校を選んだ。私は、近いに越したことはないのだからと学費の安い方を推したが、娘は断固として偏差値至上主義を貫いた。おかげで、6年間は馬車馬のごとく働くことになる。
「有希ママってみるからに金持ってなさそうだもんな。」
みすぼらしくて悪かったな。あんたとは金を使うところが違うだけでしょ。近所づきあいもないし、娘が私立中学に通ってることなんてこの人は知らないわけだし。知ってる人 がいたとしても、旦那の保険金で悠々自適に暮らしている未亡人だからとか思ってるに違いない。今どき、中学受験なんて珍しくもなんともないのだ。ちなみに地元の中学に行っていたとしても、私の身なりはそんなに変わらないのが現実だ。
社会人にもなって化粧もせずに出社している私は非常識極まりない女なのかもしれない。
「そもそもよ、なんのためにメイクするのさ。」
「そりゃ自分の素顔なんか人に見せられたもんじゃないから。」
日奈はいまだに旦那が寝てから化粧を落として、起きる前にするのだという。良子は自分で自分の顔を見るときにババアだと嫌だからするんだと。
「私なんか、会社で誰に見てもらいたいわけでもないし、基本的に誰にも会わないからね。」
化粧品代はもったいないし、時間もない。日焼け止めとリップで十分なのだがそれは化粧ではないらしい。
「そんなこと言ってると、彼氏もできないよ。」
え、彼氏必要ですか。二人にはまだ言ってないけど、本来は私、今ここに居ない人間なんです。死んでるんです。それを思うと、なんでもちっぽけでどうでも良いことに分類されてしまうのだ。もはや他人に身をささげるような真似はしない。娘を一人前に育てる、それだけが私のやるべきことで、そのために働いてるし、生きてる。
あれ、それだと誰かさんが怒り出しそうだ。まあ、それで私が良しとしてるのだから、大丈夫。
ふと思うのは、娘がいなかったら、私はただのバツイチのおばさんなのだ。しかも誰からも愛されない可哀想な40おばさん。いつの間にか前の会社のお局と同じくらいの年齢になってることに驚いた。あの歳で、いやこの歳で不倫するって、そうとう気力体力いらね?って今さらだが彼女を少し尊敬できた。
とにかく、私は娘が就職して独立するまでは親として生きる、それだけだった。その後のことなんか想像もしていなかった。
そう、子供が無事に独立したとしても、親業は続くのだ。結局、どこの大学に入ろうが、卒業しようが、どんな会社に就職しようが、挫折だとか成功とか失敗だとか、悔んだり喜んだり、そんなこと全く関係ないのだ。最終的にはどの親も少なからず、抱える問題は別にある。
高校受験は回避した娘だったが、大学受験では再び挫折を経験しー相変わらずだったので自業自得といえばそれまでー地頭だけで大学に入学できたのはそれはそれで褒められることだが、本人も親もしばらく立ち直れなかった。
それでもそこそこの企業に就職し、やっと私の子育てが終了した。喪失感など感じることもなく、月日が流れ、親業はまだ終わっていなかったことに気づいた。
この頃になると、もはや親の自慢は子供の学歴とか収入などではなくなるのだ。
「やっと娘が結婚しましてね。」
「孫が二人になりました。」
次第に、自分の子が独身だったり、孫がいない年寄りは会話に参加できずに肩身の狭い思いをすることになる。いつまでも実家にいるような子供はもはや子供ではない。私だってさすがにこの同居人をどうしたものかと頭を悩ませることになるのだ。
幸い、私にはさっきの会話をするような友達はいない。良子と日奈は永遠に子供が絡まない友達だ。だからといって、娘がいつまでもここに居るのは心配のタネであり、
「頼むから出てってくれ。」
「とりあえず結婚しろ。」
どっかで聞いたセリフを言って喧嘩になってしまう。
「いいじゃん。どうせお母さんここでずっと一人でしょ?もったいないじゃん部屋が。」
そういうことじゃないんだよ。うちは母子家庭で親戚づきあいもほとんどないんだよ。最後に自分一人が生き残ってる状況を想像しなさい。私の方が先に死ぬんだから。仕事に生きると言い切れるほど仕事好きなわけじゃないでしょ。
学生時代に付き合った人と結婚すると豪語していた娘だったが、結局大学では結婚したいほど好きな人ができなかったらしく、就職したらしたで忙しくて恋愛どころではないまま、もうすぐ30だ。
いや、忙しいだの出会いがなかっただの、そんなのは言い訳に過ぎず、私の性格を受け継いだのだとしたら、私の子育ては失敗だったということになるのか。思い当たる節はたくさんある。後悔しても遅いのだ。
「お父さんみたいな人と結婚しちゃだめよ。」
なんて言う母親がたまにいるがそれは逆効果だ。そんなことを言うと父親そっくりの彼氏を連れてきたりする。そんなことは娘本人がどう感じるかなのだ。親が言っても意味がない。もし最低の父親の娘が「父親」を連れてきても、それは復讐のためだったりするかもしれない。娘が天堂みたいな男と結婚すると言ってきたら、それも娘が成長するために必要な通過点に過ぎないし、私への復讐ということなら喜んで受け入れようと思う。
それは置いといて、結局私は、一般論として娘にあれこれ言いすぎたのだと思う。
「自分からデートにも誘えないような男はダメ。」
「ケチくさい奴はやめとけ。」
「背が低いことを気にするようなのもダメ。」
「男のナルシストは最悪。」
とにかく、一緒にいて一瞬でもため息がでそうになったらその人のことは好きじゃない。とか、すべてがダメな方にしていたから、娘はめったに彼氏の愚痴を言わなくなった。言おうものなら、
「じゃ別れなさいよ。さっさと。」
などと言われるのだからきっとうんざりしていただろう。だから私が知らないところで誰かと付き合っていて、ある日突然、
「結婚する。」
なんてことがあると信じていた。日々誰かの死を願うよりも、娘の幸せを祈る方がまだましだ。ストレスの程度は考えちゃいけない。
そう、信じる者は救われる。
「この人と結婚します。」
あ、そう。よかったね。うっかり聞き流すところだった。スマホの写真を見せられたが。
あれ、これで紹介終わりじゃないよね。家に来るとかないのかね。
「お嬢さんをくださいってやつは。」
「やっぱ、それいる?」
そりゃいるでしょ。まさか籍入れて家を出て、終わり?どんだけクールなのよ。その人もあんたも。
「そりゃ、一回くらい会ってからでないとさ、ね、いや、反対なんて絶対しないから。とりあえずその人にもおめでとう、言わせてよ。ってか名前は。」
もしかして動揺してる?いやいや。めでたいことじゃん。親ってどんな感じなんだろうこういう時って。うれし泣きしとくか。
お母さんも30で結婚したし、私もそれくらいまでには誰かと結婚したいよね。仕事もいい加減、辞めたいし。子供だって産めるものなら産みたい。でも、小学生の頃は男子はバカだと思っていたし、中学高校は女子校で男とは話す機会もない。おまけに父親がいないから身近な男と言えばおじいちゃんだけだった。どういうわけか、お母さんは結局一人の彼氏もいないままだし。
「おまえさ、いつお母さんに会わせてくれるの。」
「あ、おまえとか禁止だから。お母さん、そういうのメチャクチャ反応するから。」
高校の時は後輩に好かれて告白なんかされたりして、私が女子と付き合うかもしれないってワクワク感丸出しのあの人、ゆきちゃん連れてったら驚くだろうな。自分と同じ名前って。もしかしてマザコンのレッテル貼られちゃうかな。そういえば、
「あんたさ、名字が天堂って人とは結婚しちゃだめだよ。万が一ってことがあると困る から。」
って言ってたな。でもさ、私の名前ってそもそも天堂に合わせて考えてんでしょ。むしろその方がしっくりくるわ。それに天堂なんてこの世にうじゃうじゃいるでしょ。それにしても自分は私のことをあんた呼ばわりするくせに、私がお母さんをあんたと言おうものなら激怒するし。
「そんなん、当たり前だろ。親にあんたなんて言えないぞ普通。」
お母さんには昔から、結婚相手は親兄弟がいない人が面倒も少ないからいいよ。なんて言われていたけど、家同士の結婚なんてこの時代にないから。よっぽど嫌な思いしたのか知らないけど、うちって親戚づきあいもほとんどないし、やっぱりなんとなくそんな感じになるのかもしれない。ゆきちゃんは親いないし、兄弟もいない。
たまたま職場に来ていたお客さんが、
「春ちゃんは彼氏とかいるのかな。」
なんて聞いてくるからつい、いつもの営業トークでー私は営業ではないけどー
「いないんですよ。誰か紹介してくださいよ。」
かなり棒読みだったにも関わらず、その人、次の日にはゆきちゃんつれて来て。境遇はともかく、ゆきちゃんは面白くて頭が良くて、背も低くないし太ってないし、着ている服も好きだった。問題があるとしたら5歳も年下だってことくらい。結婚なんて考える年齢じゃないから私とはないなって。
それがどういうわけか、いつの間にか結婚することになってた。私は結婚したいと焦っていたかもしれないけど、ゆきちゃんはそうじゃない。焦る年齢じゃないし、そこを信じたいと思ったのかもしれない。ま、最悪離婚もありだしね。私の子供にはどっちに転んでもしっくりくる名前をつけよう。
「別に春ちゃんの姓にしてもいいよ。」
ゆきちゃんはそういうのにはこだわりがないらしい。ゆきちゃんの生い立ちを知ったら、きっとお母さんは泣いちゃうかもしれない。どういう意味で泣くかな。
いくら親兄弟がいない方がいいって言ったって、それって私が天涯孤独にならないように結婚しろってことと矛盾しませんかお母さん。親戚が多い方が孤独とは無縁よね。実際はどんな反応をするか、少し怖かったけどわりと普通に顔合わせが済んでしまった。
「おめでとう!」
「良かったじゃん、これで安心だよね。」
良子と日奈も喜んでくれた。一生独身かもしれないと気が気ではなかったけど、娘が結婚することは本当に驚いた。ずっと彼氏がいることを言わなかったとは、娘も結構やるじゃない。案外たくましく育ったもんだわ。ワインを流し込んで、この先は毎晩一人で寂しく飲むことになるんだなと覚悟を決めた。
着るものがないから結婚式とかはしないでほしいと頼むつもりが、その前に日程を聞かれてしまった。やるんかい。結婚式。
お互い会社で親しい人を数人と、友達数人。30人ほどの小さなー私からすると結構な人数だと思うがーパーティにするという。身内は私だけか。見届けたら早めに退散しよう。間違っても、親に花束とかお手紙とかそういうの、いらないから。釘を刺しておいたけど、私がお涙ちょうだい的なのを実は望んでいるとか、娘が勘違いしてなきゃいいけど。
結婚式の前夜の挨拶とかもやめてよね、というのを言い忘れていた。自分自身が結婚式の前に、
「今までありがとうございました。」
なんてちゃんと言ってないので言われることなど想像もしてなかったからだ。いやまてよ、それをしなかったから、
「まだ終わりじゃないで、これからも世話になるで。」
的なことで、簡単に離婚してしまったのかもしれない。だから今度は私から、
「今までありがとう。私の子供でいてくれて。」
くらい言っておこうかとさえ考えた。
結婚式の前日、
「お母さんの言う通り、特別なことは何もしないシンプルな式にしたから安心して。私だけ親に花束とかってのもゆきちゃんに悪いし。」
それをきいてホッとした私は、明日も飲むから控えようと思っていたワインを開けてしまった。
「お母さんはさ、なんで再婚とかしなかったの。子持ちはやっぱハードル高いのかな。」
いつの間にか片手にグラスをもった娘が隣に座っていた。
「あんたは飲みなさんなや。」
「いいじゃん。少しだけ。」
そう言ってワインを注ぐ。いつの間にか飲むようになったよね。成人しても一切、お酒には手を出さなかったのに。本当に大人になったよね。
「あのね、私が結婚に向かなかっただけだよ。そりゃ交際相手が子供を虐待するとかふざけた事態になっても困るけど、私の場合はそんなことあったらそいつ殺すからね。」
殺人はさすがに妄想だけで十分だし。
と、まあ良くもこんな母親に育てられてまともに成長してくれたよ。今日で一応、親業は終わりだ。パートナーがいれば別に子供なんか産まなくても産めなくてもどうでもいい。孫なんかいらないし。本当に、ありがとう。春。これでいつ死ぬことになっても、もう雨宮は現れないだろう。
自分の余生があとどれだけ残ってるかなんてどうでもいい。第二の人生なんて考えたくもない。もともと生きることに興味なんかない。
娘が家を出てから数週間が過ぎた。結婚式は完全にしてやられて、お涙ちょうだいのお手紙もサプライズで受け取った。正直、出産の時に流れた涙で一生分だと思っていたが、残っていた分が全部流れ出たようだ。
ゆきちゃんを紹介してくれたという人物は結局、紹介しただけで結婚式にも表れなかったらしい。なんでも仕事が忙しくて消息不明だったとか。親としては一度くらい挨拶をしておきたいとーこれが最後の親業―言ってはいたのだが期待はしないでおこう。
私は定年退職し、もはや何故ここにいるのかわからないくらい自堕落な生活をしている。贅沢することもないし、年金で細々と生きている身が疎ましい。どんなに評判の良い映画を観たってまったく感動出来ないし、人にも食べ物にも興味がないから質が悪い。それでも仕事に結婚に出産に離婚に子育てと一通りのことをやったという謎の達成感でかろうじて生きながらえている。
「有希もせめて男の飲み友達くらい作ればいいのに。」
唯一の友達の良子と日奈も孫の世話やら親の介護やらでなかなか時間が取れない。今、暇なのは私だけだ。
「これから新しい友達作るのも疲れすぎでしょ。」
いわゆるシニア世代なのだ。年寄りが男女で飲むなんて、よほど昔からの付き合いとかじゃないと無理でしょ。怖いわ。
「たしかに、いきなり相手の介護とかきても困るよね。」
還暦過ぎてからの恋愛ごっこって、どんな感じなのだろう。体の関係とかあんの?若干の興味はあるけど自分はもともとそういうのは興味ないのだから考えても無駄だ。話すだけなら別に今いる友達だけで充分だし。この歳でときめきなんて気持ち悪いでしょう。そういえばいつの間にか、妄想することも無くなってるじゃん。
唯一、気になるのはあいつだ。雨宮。今、この世にいるのだろうか。まだ生まれてないのか、想像もつかない。そもそも未来からやってきたなんて、あり得ない。となるともう死んでいるかもしれない。
「ねぇ、二人とも雨宮って男、知ってる?」
「雨宮?ああ、大学の時にクラス一緒だったやつ?」
「雨宮くんとまだ連絡とってんの。有希たち仲良しだったっけ。」
そういやクラスにいたけど、そいつじゃないし。だめだこりゃ。
そこから懐かしい若かりし頃の思い出話になった。
「有希がいきなり会社辞めた時は驚いたよね。」
と日奈が言った。良子も思い出したように、
「そうそう、その前にみんなで飲みにいってさ、有希はすぐ帰ったんだよ。ほら、誰だっけあのクズ先輩。」
「荒木。」
日奈が覚えているとは。
「そういえばさ、あの時うちらが飲んでる隣だっけ、結構なイケメンたちが飲んでたよね。」
良子が思い出したように言った。それそれ。その話、聞きたい。
私が合流するまでの間、二人は私のハードワークについてあれこれ話して心配してくれていたらしい。だから、雨宮は知っていたんだ。でもそれだけで私が死にそうだって思ったのか。しかも助けようと?まったくもってわからない。でもこれでタイムマシンとかそういう非現実的な話が消えて、私はちょっとがっかりした。いや、ほっとした。もしかしたら死ぬまでの間にバッタリ会うとか、そういうこともあるかもしれない。
だから何だというのか。会いたいのか、お礼が言いたいのか、何故私に関わったのか、なんでこんなに気になりだしたのか。ババアに最後の妄想ネタを与えてくれた雨宮に感謝する。
「お母さん、今日空いてる?」
久しぶりに電話してきたかと思ったら、一緒に買い物に付き合えってか。まだ孫が生まれるのは来年だよね。無事に生まれるかもわからないのに、こういうところは私にそっくりで、せっかちなんだよね。
「ゆきちゃんとお昼一緒に食べるけどいいよね?」
買い物を終えてやっと帰れるとおもったら娘が誘ってきた。
「急なんだけど、例の人、くるから。」
例の人?紹介者ってこと?おいおい。急だな。
「なにそれ、先に言いなさいよ。」
「だって言ったらお母さん来ないでしょ。」
いや行くでしょ。
「挨拶くらいしたいって言ってたでしょうに。え、もっとマシな服着てくればよかった。」
まったく。でもまあ忙しい人みたいだから挨拶だけして終わりだ。
居酒屋が昼間も営業しているような店で、娘と二人で四人掛けの席について待っていたが、ゆきちゃんたちは現れない。
「遅いなぁ。何やってんだろ。」
娘がスマホをいじっている。
「あ、あと少しで着くって。ちょっとトイレしてくる。」
私も行きたい。というか一人にしないでよ。来たらどうすんのよ。
店に背の高い男が入ってくるのが見えた。トイレから出てきた娘と鉢合わせて会話している。その脇をスーツを着たダンディーな感じの年寄りがこっちに向かってくる。
恰好つけたジジイだな。私もちゃんとした服着てくればよかった。春のバカ。立ち上がろうとして手をテーブルについた瞬間、腰が抜けたみたいに動けなくなった。
雨宮。
今思えば、なんで電話番号の一つも教えなかったんだろう。聞かれなかったからだ。いや、俺は有希の携帯番号は知っていた。でも電話できるわけもない。する理由もないしな。運命を信じていたから、きっとどこかで再開するだろうと勝手に思っていた。
彼女が自殺するとは思えなかったが、死にそうだったのは事実だしなんとかしなきゃと思ったのも本心だ。それだけのことだ。あの時は俺も彼女を労災で亡くしたばかりだったから、神経質だったかもしれない。それに彼女の顔もチラついてとても後のことを考える余裕がなかった。でもだからって自分を未来人みたいに言う必要もなかったな。
まさか30年以上経ってしまうとは。忙しい人生を送ったもんだ。
親代わりとはいえ、あいつが一目ぼれしたのが有希の娘とは廻りあわせにも驚くばかりだ。一緒にいれば好みも似てくるのだろうか。親同士として再会するなんて勘弁してくれ。そんな思いが再会を先延ばしにしてしまった。でも、あいつが楽しそうに家族の話をするのを聞いていると自分もその輪の中に入りたいと思うようになった。
「そろそろ会ってみたいな。」
この一言を待っていたかのように、あいつはすぐにランチをセッティングしてくれた。限りなくさりげなく。
有希が口をあけて俺を凝視している。もしかして覚えてくれていたのか。
「よ。久しぶり。生きてるね。」
自分でも第一声がこれかよとツッコミたくなる。
「あなたがこの世の人だと気づいたの、最近なのよ。」
私も何言ってんだか。
二人してクスクス笑うしかない。雨宮の後ろに立っている二人が不思議そうにみている。
長いランチになりそうだ。でも時間はたっぷりある。幸せがぎゅっと凝縮された空間に自分がいることを認めた。人生100年時代も悪くない。
あとがき
余計な描写が無かったせいで40年が一瞬で終わりました。
西条有希の人生はまだ続きます。
「孫戦線をのりこえる」
想定していなかった孫育て。子育てとは比べられないプレシャーをはねのけろ。
「強がった生き方の代償」
コンプレックスの塊。適当に生きた20代の結末。
「離婚へすすめ」
離婚を決めたら即行動する。内容証明から調停、裁判。
「親が離婚してると子も離婚するというオチ」
春とゆきちゃんはやはり・・・