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シングルマザー卒業と独りよがり小説

小説3

投稿日: 2024年11月03日


大学を卒業して都内で就職した私は、会社というところが案外、狭くてしょうもない世界だと知ることになる。
 テレビドラマでのミーティングシーンなど、かっこいいなどと思って憧れていたが、実際は暇つぶしに集まって中身のない話を繰り返しているだけだし、3回目くらいからは意気込んだり緊張したりする必要も無くなり、惰性で参加できるようになっていった。


 ドラマみたいなことが本当に存在していたりもする。毎日ネットサーフィンをして、何をしに会社にきているのか謎めいている人や、毎週月曜に爪を切る部長だ。こんな上層部で会社がもっているのだから、たいした会社ではないことは良くわかる。彼らのすごいところは常に会社にいる、ということだ。


 そんな会社の営業部に配属された。見渡しても女性は事務員だけだった。いや、一人だけ35歳くらいの女性営業がいた。どっかの得意先の娘らしい。最初こそ、
 「やっと女の子入ってくれて嬉しい。」
 などと親切にしてくれていたが、すぐにその良好な関係は破綻した。そんなことはどうでもいいことだった。


 仕事はハードだ。定時で会社を出られることはなく、帰れそうな時は決まってデカ目の先輩が目ざとく私をみつけ声をかけてくる。いつものことだ。
「お、西条、今日はもうあがりか?飯いくか。」
「荒木さん、ごちそうさまです!」
「おごる言うてへんで、まあええけど。」
 そんな会話が交わされ、結局数人で飲みに行くことになる。毎日接待で飲み明かしている人ばかりだ。どれだけ酒が好きなのか。酒が好きでなければ勤まらない仕事か。


 いつか全員、病気して死なないかな。そしたら晴れて自由の身になれるかも。あ、自分も死んだら意味ないか。そんなことばかり考えながら終電で帰宅する日々だ。
「それって強制ですか。」
 なんて今どきの新人みたいな暴言は吐けない。
「お先に失礼します。」
 そんな言葉はこの会社には存在しない。

 

 荒木は一緒に組んで仕事をしている先輩だ。結構なナルシストで自分が一番大事だ。面倒くさい奴。最近入社した新卒の女に手を出して不倫している。妻帯者でもある。それなのに、私にまで気持ち悪い顔で迫ってくることがある。バカ丸出しなのはおいといても、面倒な客を私に押し付けてきたり、トラブル回避も自分だけ逃げきろうとする最低の先輩だ。いつか殺してやる。それは無理として誰かに殺されないか、とは思っている。

 

 

 死んでほしい人間が増えていく。

 

その日は外回りを終えて直帰するつもりだった。久しぶりに大学時代の友達と渋谷で飲む約束をした。直帰といっても22時に合流できるだろうという感じだ。表面上は優良企業っぽい会社も中身はブラックなんてことはよくある話だろうか。ヘトヘトだったがその日は金曜日で翌日は休みだ。柄にもなく心躍りつつ、友達の待つ居酒屋へ入ろうとした。


 「西条?お前いまどこにおる。」
 着信があったので出てしまったらこの様だ。気持ち悪い声。
 「荒木さん?お疲れ様です!」
 「お前、外か。」
 「これから友達と飲み会です。」
 「お前さ、佐藤さんに送るやつ、手配したか今日。」
 くそ野郎。それはてめえが自分の手柄にしたいから自分でやる言うた仕事だろうが。忘れやがったのか。
 「ええ?先輩するって言ってたやつじゃないですか。先輩差しおいて私がやるわけないですよ!」 
 「やっとらんのよぉ。西条ぅ。助けて。」
 今すぐ死ね。


  血圧が急上昇するのを我ながら冷静に感じながら、どうやったら穏便に荒木との通話を終えられるか、わざとらしい沈黙の中で考えた。
 「今日は無理ですよ。これから飲むんで。すみません。」
 「お前、俺らがどうなってもいいんか?俺らチームやぞ。」
 もう一度言う。今すぐ死ね。お前は死ね。
 「・・・・。」


 「おーい。俺、朝イチでお前んちまで迎え行くからさ、手伝えよ、な。」
 朝イチって今から何時間後のことなんすかね。いや、こんなおふざけを通すわけにはいかない。
 「無理です。明日は休みなので。」
 「4時くらいには行ったるから、な。」
 6時間後かよ。いや、違う。そんなことじゃない。今すぐこいつを殺すことは不可能だし、可能でも殺人の後の酒なんて不味いに決まってる。
 「・・・・。」


 無言の抵抗も虚しく電話が切られた。涙がじわってきた。道路はすでにたくさんの酔っぱらいがいたが、どいつもこいつも幸せそうに見えた。
 なんで。店の前で目をこすり何食わぬ顔で中に入った私は、さっきから私のことを真横でガン見していた男に気づいていたが、無視して友達を探した。


 「有希!こっちこっち。」
 すでに酒の回った良子と日奈が手を振ってくれた。久しぶりだ。この感覚が嬉しい。
 「ごめん。遅くなって。しかもそんな時間ないんだわ。」
 「え?朝までコースじゃないの。」
 「珍しいじゃん。有希にしては。」


 二人はすでに飲み食いが終わっていて、少し遠慮した私は料理は頼まず、グラスワインだけ頼んだ。
 「グラスワインの赤、お待たせしました。」
 ワインが来るまでに、荒木のことをかいつまんで話した。荒木は私たちの間では頻繁に会話に登場している有名人だ。最初は私が荒木に気があるのではと疑われたが、すぐにその容疑は晴れた。


 「そういうわけだから、終電で帰るわ。」
 「まぁ有希は働き者だからね。」
 「無理して身体壊さないでよ。」
 そういえば良子も日奈も、まだあいつらとつき合ってんのね。大学一年から付き合った人と就職後もつき合ってるって、ある意味尊敬。日奈に限っては会社辞めて、結婚するらしい。私なんか結婚どころか彼氏も怪しいのに。


 「相変わらずだねぇ。」
 疲れたすきっ腹にワインを流し込んだのに、全く酔えそうにない。荒木、仕事のことが気になるのか。くそ。たかだか客に届けるサンプルだろ?どうでもいいだろ?良くない。
 「私、真面目なんかなぁ。」
 「有希は真面目でしょ。」
 「後悔するくらいなら、その荒木に貸し作っとけばいいじゃん。」
 だよね。結局そうなるよね。それが最善。さすが旧知の友。ここで、
 「そんなの無視無視。」
 なんて言われてもモヤモヤするだけだし。

「トイレいってくる。」


 日付が変わっている。そろそろかな。仕方ない帰るか。化粧をし直して―いつもはしないのに―トイレから戻ったら2人が奢ってくれることになっていた。ワイン3杯とチーズひとつまみ、ご馳走様でした。いいなあ。2人はお泊りですか。私はサービス残業どころではない土曜日仕事だ。日曜日は月曜の前日移動。なんなのこれ。


 店を出ると、さっき私の涙を見たであろう男が煙草をふかして立っていた。また?無視して駅に向かって走る。といっても早歩きだ。走れるわけがない。


 「ちょっと!」
 はあ?まさかナンパかよ。こんなヨレヨレの疲れた女に興味もたないでよ。化粧直しはしたけど。
 「お姉さん、終電乗るつもり?」
 「走っても間に合わないよ。」
 いえ、間に合います。走ります。走ってます。ただの早歩きかもしれませんが。
 「ちょっと、まってよ」
 腕つかまれた。おっと。あの男じゃないんかい。
 ここは渋谷だった。こんな時間でもうじゃうじゃ人がいる。特に男が。ゴミみたいにみんな燃えて無くなればいいのに。不特定多数を殺したくなったらテロだな。


 「本当に急いでるんです。明日、あ、今日これから仕事なんで。」
 夜のお仕事の人に思われたかな。何でもいいか。泣きそうだ。結局、息も切れて止まってしまった。息が止まったら死ぬか。
 立ち止まって時計を見るふりをして、何とか抜け出そうとする。
 「送ってってあげるよ。おれら。」
 おれら。結局、悪さも集団でしかできないクズ。早くあの交差点を渡らなければ。乗れるはずの終電が消えて無くなりそうだ。信号は今、何色?


 「ちょっと、先に行くなっていったじゃん。」
 おれらと私が振り向くと、あの男がいた。顔を見ると、この渋谷中を探したって見つからないくらいのレベルのイケメンだ。おれらが怯んだ。
 「まさかと思うけど、ずっと店の外にいた人?」
 煌々とした中、男の顔をまじまじと見てしまった。舌打ちしたおれらが消えたのにも気づかなかった。ついでに終電を逃したことも。まあ乗れていても途中までしか帰れないけど。


 「まさか。俺もあの店で飲んでた客よ。」
 「いたんだ、あの店に。」
 「そう、有希の斜め前方の席にいたんだけど。気づかなかったね。」
 有希、ね。会話が聞こえるくらいの距離にいたらしい。遠くで駅のシャッターが無情にも落ちていくのが見えた。最悪だ。荒木の怖い顔がちらつく。
 「家、車で送ってくよ。」
 「飲んでるでしょ。」
 「飲んでない。マジで。」
 「・・・・」
 「4時に誰か来るんでしょ。会社の人。」
 「そうですね。」
 ちゃんと聞かれていたようだ。何?哀れな私に手を貸してくれるただのいい人?なわけないでしょ。幸か不幸か、酔いが今頃まわってきた。家に帰れるならどうでもいいか。


 気づいたら地下の駐車場の男の車に乗っていた。これはもう、何が起こっても自業自得のパターンだ。男がイケメンなのが救い。それだけ。かろうじて住所を告げた時点で記憶が消えそうになるのをこらえた。荒木のこと、会社には他にも不倫ばかりする手の早い年寄りが何人もいること、自分はまだ誰にも引っかかっていない―むしろターゲットにすらされない現実―こと、ベラベラ話し終えると、男が運転する車の中で深い眠りについた。

 

 

 

「有希、ついたよ」
「・・・・。」

時計は3時を過ぎていた。そういえば住所は聞いたがマンションの部屋番号までは聞いていない。彼女は眠っている。よほど疲れていたのだろう。とても4時に迎えに来る先輩とやらの仕事を手伝う気力が残っているとは思えない。どうしたものかと彼女の寝顔を見ながら、カバンの中を調べるか、無理やり起こすべきか悩んでいた。
 人も車の通りもない真夜中だ。しばらくぼんやり車道を眺めていたが、とりあえずエンジンを切って自分も寝ようと思ったその時、1台のバンがマンションの前に着いた。早いな。中から小太りの荒木らしき男が出てきて、携帯で電話をかけるのが見えた。


 「ブーブー ブーブー。」
 有希の携帯がカバンの中で揺れた。有希は起きない。一度切れてまた揺れる。数回繰り返すと、荒木はエントランスに入り、今度は部屋の呼び出しボタンを押した。もちろん反応はない。そわそわした様子がうかがえる。有希がこれをみたら、どう思うだろうか。すっきりするだろうか。ざまあみろと笑うだろうか。いや、車を飛び出していくかもしれない。
 諦めたのか、荒木は車に戻りしばらくエンジンをふかしていたが、やがて走り去っていった。


 「ふぅ。」
 男は安堵のため息をつき、有希のカバンを開け、キーホルダーを探した。
 人気がないのを確認して、静かに車を降りた。助手席に回り、ドアを開けて重そうに有希を抱きかかえて膝でドアを閉め、エントランスへ歩いた。
 キーを使って中に入ると迷うことなくエレベーター乗り、6階を押した。606号室。さっき荒木が何度も押すのを遠くから見ていたが、何となく606だと思った。カバンに部屋番号がわかるものがあるとは思えないし、有希が起きないのだから仕方がない。いや、起こさないようにしたのは自分だ。


 間違えたら大変なことになるかもしれない。不安はあったが、すんなり正解した。自分は直感が冴えるタイプらしい。そう思っている。だからこんなことをしているのだろう。

 中に入るとそこは生活感のない―女子の部屋とは思えない―シンプルな部屋だった。男は素早くベッドに有希を寝かせると、しばらく寝顔を見ていたが、やがて自分も床に寝そべった。片手で有希の携帯の電源を切り、バッグに戻してから眠りに落ちた。

 

 

 

 見覚えのある部屋で起きた私は、床で眠るイケメンを見ながら頭を抱えた。自分をどうやってここまで運んだのだろう。とんでもないことをやらかした気がして胸がドキドキしてきた。とりあえずシャワーだ。イケメンをまたいで風呂場に直行した。冷蔵庫に何が入っていたっけ。どうでもいいことを考えながら素早く出ると、イケメンが起きないうちに着るものを手にした。ベッドに腰かけ、携帯を手にした私は地獄へ落ちた気がした。


 電源が切られている。何故?


 入れ直して口に手を当てた。吸い込んだ息が手を口に密着させる。ものすごい着信の数。もはやストーカーだ。幸いにして伝言は入っていない。声は聞かなくてすんだらしい。しかし、やらかしたのは私だ。死ぬのは私。
 もう終わりだ。


 「おはよう。」
 イケメンの声に我に返った。
 「良く眠れたみたいだね」
 「本当に送ってくれたんですね。ありがとうございました。」
 とりあえず冷静にご挨拶。名前も知らない人が部屋にいるのは初めてではないが、いつの間にかいるのは少々驚きだ。
 「おれもシャワー借りていい?午後は仕事なんだ。」
 仕事。この際、仕事のことは考えたくもない。いや、今すぐにでも荒木に電話するべきだろうか。詫びる?
 「あ、どうぞ。タオルそれ使ってください。」


 普通、いきなり風呂借りる?
 風呂場、排水溝の毛とか取っといて良かった。数分の間、一生分の混乱を味わったきがしたが、イケメンがシャワーを浴びてる間に電話しよう。それしかない。今、帰りましたっていう体で。どうせまだ配達の仕事は残っているはずだ。佐藤さんて仙台の客だっけ。こないだ行ったばかりだっての。
 「荒木には電話しなくていいよ。コーヒー飲みたい。」
 嘘でしょ?コーヒーあったっけ。かけそびれた携帯をベッドに放り投げて、あわててキッチンでお湯を沸かす。堂々と服を脱いだかと思ったらあっという間に出てきたイケメンはほぼ全裸で熱いコーヒーに口をつけた。


 「シャワーうちで入る必要あった?」
 話をそらす。いや、名前を先に聞くべきだったか。誰なんだイケメン。あなたは。
 「やっぱお近づきになるには、シャワーでしょ。有希。」
 わからん。やりたいわけでもなさそうだし―そもそもこんなイケメンがあり得ない―怪しすぎる。
 「で・・・お近づきになりました?」
 とりあえず、一人になりたい。別れが惜しいなんて思ってないし。少しも。ええ。
 「それは、これからだけど。腹減ったから何か買ってくるよ。車も心配だからみてくる。」
 良かった。一人になれる。しかも戻ってくるかもしれない。


 「私、サンドイッチなら何でもいい。」
 「オーケー。閉め出さないでよ。」

 もう一度携帯を手にして気絶しそうになった。着信履歴も番号も全部消されている。これじゃ電話できない。荒木の番号なんて一桁だって覚えていない。やられた。何で?会社に電話したら荒木は出るかな。どうしよう。クビになっちゃう。涙があふれてきた。もうダメだ。


 携帯が自分の涙で水没する前にイケメンは戻ってきた。
 「大丈夫?」
 大丈夫なわけあるか。イケメンでも許さん。
 「誰・・なの・・何がしたいの?」
 ふり絞って出た声が自分の声じゃないみたいで、もう死んでるんじゃないかと思うくらいだった。


 「今日、おれが一緒にいることで有希がこの先、何十年も生きていく。そのために来たんだよ。」
 「私、今日死んだ?」
 イケメンはにっこり笑って言った。
 「大丈夫。生きてる。」
 私は自分が生きているのが不思議なくらいだった。
 「おれはね、雨宮っていうんだ。」
 「雨宮・・」
 「一度会ったことあるんだけどね。」
 「え?」
 記憶にない。

 

 雨宮が言うには、一年前の話だ。月曜から連続の接待でヨレヨレの水曜日の終電からの深夜バス。最寄り駅から家までは歩けは25分ほどだが、バスに乗った。すぐに降りるから降車ドア付近で手すりにもたれかかっていたらしい。思い出した。あの時、こともあろうに私に席を譲ろうとする奴がいたのを。
 「座ってください。」
 雨宮はそういって席を立とうとした。
 「結構です。すぐ降りるので。」
 私は23だよ。ふざけんなよ。若いんだよ。疲れてはいるけど。
 「今にも倒れそうじゃないですか。」
 「大丈夫です。」
 60くらいのおばさんが席を譲られてイラっとくるのとは次元が違う。
 そそくさとバスを降り、帰宅して屍のように倒れた。次の日も7時前には家を出なければならない。朝起きてシャワーを浴びる時間を考えると5時半には起きることになる。私の場合は目覚ましを5時半にセットしても起きるのは5時だろう。実質、睡眠時間は3時間か。それだけあれば大丈夫。自力で起きられるうちはまだいける。

 


 「そういう話だけじゃないでしょ。」
 雨宮は、何故か私のことを知りすぎている。私が接待で毎晩飲んでいること、終電で帰っていること、ろくに寝ていないこと。それだけではない。深夜に徒歩で帰る途中、変質者にいきなり後ろから抱きつかれて胸を揉まれたことまで知っていた。
 他にも営業まわりの車の中で得意先の男にキスされたり、会社の気持ち悪い男に抱きつかれたり、お局の不倫相手に髪の毛を触られたことー階段を下りていると後ろからいきなりーでそれを見ていたお局に嫌がらせをされたり。
 なぜそんなことまで。誰にも話してないのに。


 「あ。」
 良子と日奈には話したかもしれない。でも昨日ではないと思うけど。

雨宮は言った。
 「あのね、それは立派なハラスメントなの。」
 「ハラスメント?何それ。」
 英語苦手なんですけど?
 「えっと、有希の時代にはまだ言葉としてはメジャーじゃないからね。」
 「私の時代?」


 わらんことをいう。雨宮は教えてくれた。パワハラ、セクハラ、モラハラ、アルハラ。他にもいろんなハラスメントなるものがあるらしい。
 「とにかくね、有希はこれから退職届を書いて、会社に提出します。」
 会社。秒で蘇ってきた昨日の出来事。


 「私。」
 辞めていいんだ。せっかく乾いた目からまたあふれ出す。
 「何というか、そう、頼まれたんだ。あの2人にね。有希を死なせないでくれって。」
 「え?」

 

 あの日、つまり昨夜、私を帰したことを2人は後悔することになった。雨宮の話が本当なら私は今日、自殺したのだ。4時に間に合わなかったからか、土曜日働くのが嫌で?


 「私が、荒木ごときのせいで死ぬわけない!」
 「荒木がいてもいなくても、有希は死んでいたかもしれない。」
 私みたいにブラック企業で働くことがステータスみたいに感じていても、死ぬ気なんかなくても、ふとした瞬間に死のうと決めて死んでしまう。そんなこともあるのだと。


 過度な労働とストレスが人を一瞬で死に追いやるのだと、雨宮は言った。
 「殺したいやつはたくさんいるのに、最初に殺すのが自分自身とはね。」
 私は半笑いでつぶやいた。
 どういう基準で大丈夫だと確信したのかは知らないが、雨宮はそういう能力―何かはわからないがーを持っているのだろう。

「サンドイッチ食ったら、おれ帰るわ。」


 買ってこさせておいてなんだが、人の分まで食べようとする雨宮から奪い取って私も食べた。本当に自殺したんだろうか。
 「いまいち信じがたいけど、未来から来たってことだよね。」
 「うーん。まぁそうだろうね。」
 なんだそれ。全部あてずっぽの作り話でもないだろ。
 「なんなら記念にやっとく?」
 雨宮が服を脱ぎ始めたので、心が揺らいだがやめとこう。なんて奴だ。でも死ねとは言わない。
 「結構です。」
 「あれ、おかしいなあ。おれ有希好みのイケメンのはずなのに。」


 良子たち。数人の中から雨宮を選んだとか?まったく。今すぐ感謝したいところだけど通じないんだろうな。
 「おれくらいのイケメンじゃないと有希は絶対に知らない人とは口を聞かないってさ。」
 良くわかってる。今度ちゃんと飲みに行って奢ることにする。
 「じゃ、行きますわ。」
 「ありがとう。」
 どういたしまして。という感じの笑顔で雨宮は出て行った。

 


 時計をみるとまだ9時だ。時間はいくらでもある。今度は自分で携帯の電源を切って二度寝した。とても深い眠りだったと思う。机の上には出すだけの退職届が置かれていた。いつ書いたかは思い出せない。

 

 今でもたまに雨宮を思い出すが、雨宮が私の夫―抹殺したくなるほどのーになるはずもない。何年先の未来から来たのかは聞かなかったが、この先、会うことはあるのだろうか。
 私は数年後、まったく違う人と結婚した。

第二章 第三章