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シングルマザー卒業と独りよがり小説

小説3

投稿日: 2024年11月08日


会社を辞めてからしばらくの間、失業手当でももらって体を休めようと思っていたが、真面目な性格が災いし、その月のうちに今の会社に就職した。


 たまたま面接を受けた一社目だったが、
 「で、いつからにする?」
 という社長の一言で有難く採用を受け入れた。残業など一切ない奇跡の会社だ。良子たちとは定期的にーそんな時間もたくさんできたー会っている。


 荒木のことなんかどうだって良かったが、また新人に手を出して北海道に異動させられたらしい。ことの顛末がその新人の彼氏が会社に訴えて大騒ぎになったとか。ウケる。お局の不倫も、結局破綻して彼女も会社と辞めたとか、聞きもしないのに元同期たちがいろいろ教えてくれる。


 そういえば、雨宮が「お局」という言葉も、もはやハラスメントなのだと言っていたっけ。記憶が薄れているのを感じる。いつの日か、ちまたにハラスメントという言葉が流行ってきたら、顔くらいまた思い出せるかもしれない。その程度。そうじゃなきゃ私はいつまでたっても結婚にたどり着けなかったと思う。


 そもそも、女が結婚する理由の中に、
「子供が欲しいから」
というのが割と上位にあったとしても、だからといって何故に結婚してからの出産なのか、クズ男しか知らない私からすると出産だけではダメなのか、なんて考えたりしていた時期もあった。もちろん、学生の頃から私は子供嫌いで通っていたので、「子供欲しいよね」なんて話した日には、良子も日奈もキョトンとして、直後に爆笑したものだった。

 


 「そりゃ、夫という他人よりは自分の産んだ子供だけどね。」
 「旦那がいないと食ってけない人もいるじゃん。」
 二人は私が本当に子供好きになったとは思っていない。私もだ。根本的に人に興味がないのだ。だから好きでもない人ともやれるし、そいつの子供ができても結婚したいとは思わないし。でも妊娠したら産むけどね。
 「有希はさ、とりあえず結婚してみればいんだよ。」
 結婚してない良子が言った。


 どちらかというと日奈よりは自分よりの良子は、どういうわけか彼氏と別れていた。田舎の長男坊でむこうのご両親となんか合わなかったらしい。ほら、結婚を考えたとたん、これよ。
 「良子もとりあえず結婚しとけば良かったのに。」
 日奈がつっこんだ。


 とにかく、私の思い通りに事が運ばないのは、世の中の男が、私が思うほどクズだらけではなかったという誤算が原因だった。


 お互いが結婚適齢期―30前後―であるのに、必死に避妊に気を遣う男がほとんどだ。自己保身ももちろんあるだろうし、こんな女と結婚したくないと思ってたりもするだろう。だからといって「大丈夫、結婚する気なんてないから。タネだけちょうだい。」などと言ったらドン引きだろう。
 そうやって時間があるからとバカみたいにもがいているうちに、いよいよ本気で結婚しないと子供は産めそうにないと悟った。

 

「さみしい。会いたい。」
 というメールが天堂から来た時、別れてから一週間も経っていないのにプライドとかないのか?と憤りさえ感じた。天堂とは一年ほど付き合っていたが、私の傲慢な心が度々沈黙を生み、少しでも私がうんざりしたような態度を取ると「別れよう。」と言ってくるので、面倒くさくなって別れた男だ。


 別れた翌日に行った合コンで、意気投合したーと思うー男に付き合ってほしいと言われた直後にきたメールだった。天堂とは結婚しても上手くいかない。それはわかっていたが、かといって合コン男と付き合うということは結婚までの道のりが確実に遠くなることを意味した。


 「とりあえず結婚。」
 友人の言葉が頭をよぎった。
 「私も会いたい。」
 メールしてから、自分は詐欺師でも何でもないんだと言い聞かせた。普通の、結婚を、つまり子を持つことを夢見る女だと。別に天堂を殺したいほど憎んでいるわけではない。私のリストには荒木の名前ももうない。散々私をいじめたお局の名前もない。もちろんいつでも復活させる準備はしているが。


 あの天堂があんなメールをよこしたのには、何かものすごい罠があるのかもしれないとは思ったが、「何も考えていない」に私の一票が入り、私たちは翌日会うことにしたのだった。


 そのちょうど一年後、私は出産した。

 

 

二人の友人がよこした雨宮のおかげで、私は生き続けることができるだけでなく、子供まで授かった。この感謝の気持ちは直接伝えることはできない。ならば天堂に感謝して幸せに暮らすことがこの家族にとっても一番なのだ。と言い聞かせた。
 出産したとき、私は本当に、心底、感動して泣いた。


 「母は強し、だね。」
 先生はそう言いながら結構な時間、縫合していたと思う。正直、「産む」という行為よりも、このチクチクと縫合されるときの痛みの方が耐え難い痛みだ。
 天堂が入ってきて生まれたばかりの子を抱こうとしたが、看護師が制止した。


 「お母さんが先ね。」
 ナイス看護師さん。図々しいんだよ。天堂。おまえは何もしてないだろ。寝ていたのだろう?私が一晩中、陣痛に苦しんでいた時に。家で。
 「チ。」


 と聞こえたのは、私が産後ハイで耳がおかしかったせいだろうか。でも、これは「夫婦」崩壊が始まった合図だったに違いない。
 ほら、思った通りでしょう。掃除もゴミ捨ても洗濯も食器洗いもしない、当然育児もしない夫の必要性がまったく感じられないのだ。


 「おれが食わせてやってる。」
 そう言われる度に、天堂に食わせてもらってる自分という存在が疎ましくなってきた。働こうにも、家事育児に支障がでない程度にしか働けない。保育園に入れるかも疑問だ。パート程度ですんなり保育園に入れる時代ではない。フルタイムでなければ。
 フルタイムで職場復帰したら、それで以前のようにそれなりの収入を得られたら、それこそ夫など必要ではない。むしろ邪魔だ。人がいるだけで部屋は汚れるし、洗濯物も食事の量も増える。大きな子供だと思って我慢する、なんて思ってやっていけるのはそいつがそれなりに稼いでくるからだ。結局、そういうことなのだ。


 基本的に母親は良く眠れない。子供がたてるちょっとした寝息にも目を覚ます。そういう仕組みになっているのだ。夜中にぐずっているのを気づかすに無視できるのは男だけ。天堂も例外ではない。


 「毎日家にいて何してんの。当然昼寝はしてるんでしょ。」
 「公園デビューとかしないの。子供がかわいそう。」
 「もっとママが社交的にならないと。」


 義母でも言わないようなことを言ってくる。誰なんだあんた。
 「みんな母親はやってきたことでしょ。」
 いよいよ、殺したくなってきた。子供の父親を殺すとか殺さないとか、そういう問題ではない。天堂を殺したい。今までは思うだけで良かったのに、「夫」という存在は厄介だ。嫌なら離れれば良い、そういうわけにはいかない。
 だから結婚なんてするべきじゃなかった。


 後悔しても遅い。


 自分が死ぬとか、そういうことになれば雨宮が登場するかもしれない。あり得ない妄想。さすがに今私が死んでも、産後うつとかそんなので片付けられて、良子たちはそのまま受け入れちゃうだろう。それに、私は産後うつではないーと確信しているー私がこの子を残して死ねるわけがない。天堂が死ねば良いと毎日毎日願う余力はあるのだ。


 「マイホーム買うか。ママ貯金いくらあんの。」
 お前のママに聞け。独身時代に溜めたお金は私のものだ。名義も旧姓のまま変えていない。本当に良かった。


 子供を産んでちょうど一年後、私は天堂と離婚した。

 

 


すんなりできた離婚は奇跡的なものだった。

結局のところ、私と天堂は二人とも「とりあえず結婚」をしただけだったので、天堂が離婚を拒否することはなかった。それでも世間体を気にしたのかー「愛」があったとは到底思えないー娘には一般的な執着はみせた。
 一度関係がこじれると、二人きりで話し合うことは難しい。


 私は早々に離婚調停を申し立て、その日から半年以内には離婚しようと目論んだ。同時に、以前の土地に戻ってそこで保育園探しも始めた。
 引っ越し業者を雇い、天堂との部屋から自分の荷物を運び出した。いわゆる訳ありの引っ越しだったが、業者にとっては珍しくもなんともないようだったのが面白かった。


 「これはどうします?」
 女性のスタッフがてきぱきと段ボールに梱包していき、あっという間に退散した。後になって泥棒扱いされるのも嫌だったので、迷ったものはほとんど置いてきたが、それは正解のものもあれば、後悔したものもあった。こういうときは前をみなければならない。必要なものはこれから自分で新たに取り戻せばいいのだ。


 調停は、申し立ててから一カ月ほどで通知が届き、家庭裁判所に呼び出される。そこから調停員を通して交互に話し合い、まとまれば離婚できる。大体、数回―それも一、二カ月ごとーになるので、長いと一年以上かかる場合もある。最悪は裁判になったりする。
 幸いなことに、離婚については合意していた私たちは早かった。

調停員もほっとした様子で、財産分与や生活費云々の争いがないことを確認した。


 「あちらは親権を希望しています。」
 でしょうね。一応、そうしないと薄情な父親になってしまうからね。子供が小さいとほとんどの場合は母親が親権を取る。それがわかっていて言っているのだ。
 「養育費は6万円を希望します。」


 調停員を無視するわけではないが、子供に関して決めなければいけないことの希望を伝えた。私の本当の希望は、養育費も何もいらないから、面会もしないで私たちとは金輪際関わらないでほしい。それだけだった。


 結局、天堂が認識しているらしい「離婚するみんな」とほぼ同じ内容をもって、たった一日で離婚調停は終わった。予想外だったが、晴れ晴れとした気分で裁判所を後にした。ほんの少し悪い予感はしたが、とにかく離婚できたことを喜んだ。
 養育費は月に4万、面会は3カ月に一回、天堂が再婚して子供を設けるまでは続いた。その年月は私をかなりうんざりさせたが、終わりが来た時はまた歓喜した。

 


 晴れて母子二人になったとき、5年以上経っていたが、それまでに何度も家裁から調査官がきて娘の状態を見に来たりーすべて天堂の差し金―いつ親権を奪われるか、ある意味、怯えて暮らしていたことを思えば、歓喜も許されるだろう。もう毎日、天堂の死を願う必要もないのだ。


 天堂には死ぬまで会いたくない。娘がいるおかげで私も自分を殺すことはしなかったし、だから雨宮に会えないとしても、彼のことを考える暇も無くなっていた。


 娘から父親を奪った罪悪感もまったくなかった、といったら嘘くさく思われるかもしれないが、数年後、私が再婚するというシナリオも無かった。

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