小説0
投稿日: 2025年4月20日
「ああ、汚い」
目星をつけていた老夫婦のところに転がり込んだのはいいけど、ボスのところよりもさらに不衛生な家だった。でも生きていくためにはやむを得ない。しばらくはここで我慢しよう。僕はそう決めてかび臭い布団にもぐりこんだ。子供のいない夫婦。貧乏だけど食べていけるくらいのこの国では一般家庭だ。ちょっと人里離れたところに孤立しているので僕の存在も当分気づかれないと思う。
ユキはなんでボスを殺っちゃったんだろう。面白いことが出来たのに。せっかくあの毒親たちから解放されてボスのところにこられたのに。僕の邪魔をして。許さない。子供扱いされるのも気に食わない。周りが馬鹿すぎてイライラするのを隠して精一杯、幼児を演じてきたつもりなのに、僕を異常とみなした。
やっと自由になれたのに。イギリスで良かったことといえば清潔さだけだ。ここ、汚いなぁ。早く一人で歩いてても怪しまれないくらい大きくなりたい。ボスに言われたことを守って、いつかやる。ワクワクした思いのまま無事に寝ることが出来た。
翌朝、私たち三人はイギリスに戻るために空港へ向かった。結局、一度戻ってからサムが手続きをする間、空港近くの病院に私は入院する。いろいろガタがきているので一応検査した方が良いとのケイの意見だった。その後、日本へ帰ろうと心で決めた。やはりアニーにも説明しなければ。迷惑をかけたのは事実だし。
またルイの顔がよぎる。私さえこの世に存在しなければ、何も起こらなかった話だ。でもルイに同じ道を歩んでほしくない。
「ああもう」
私はつぶやいて、あの塔周辺の集落へ向かってくれるように頼んだ。
二人が聞き逃したかのような反応をするので、あの国へ戻ってルイを捜索したいと頼んだ。サムはため息をついた。
「正直、あの子の親はあの子の帰還を望んじゃいないよ」
「わかってる。でもほっておいたらまた同じことが」
やれやれとまたため息をついて、サムは電話をかけた。
「ダンか。あの子供は見つかった?」
「あの塔の周辺の集落で目立たない家が無いか調べてくれないか」
「どこかの家庭に転がり込んだ可能性がある」
「頼む」
そう言って通話を終えた。一応、やってくれるらしい。
「悪いがもうあの国に入るのは危険だ。許可もないからな」
任せるしかないか。ダンという警官に。
諦めて空港に入った。便がギリギリで三人で飛び乗ったので機内では疲れて寝てしまった。
俺は日本へ帰るべきなんだろうか。イギリスに留まっても辛いだけだ。俺はサムとは違う、あんなふうに割り切れない。命の恩人だからか?俺は生死を共にした仲だ。愛し合ったこともある。あいつが日本へ帰るなら一緒に帰るが、残るなら俺は、どうしたらいいのか。
こんなことなら俺があの時、消えていれば良かった。あの古本屋に俺たちの見分けが完璧に出来ていたとは思えなかった。近くにいて守っているだけでも良いのか。もしかしたらチャンスはあるのかもしれないが、あいつにとって俺はただの幼馴染でしかないのだから致命的だ。
俺は、何者なんだ。
横で眠っているこいつをみると、若干の苛立ちが襲いかかる。こんな安心しきって寝るやつがあるかよ。はあ。到着したらどうせあいつが来ているから、今度こそ俺の役目は終わりだ。
数時間のフライトでうたた寝程度でついてしまった。日本ではないからさほど感動はしないが、とにかく戻ってこられた。ゲートを出ると、アニーがいた。いてくれた。来てくれた。
両手を広げて待っているのでそっと抱きしめてくれるのかと思ったら、いきなり抱きかかえられてしまった。まだ言葉は交わさない。でもこの安心感は彼にしかないものだと確信できた。
私たちの後ろでサムとケイがそのまま立ち尽くしていて、ついてこなかった。
「俺たちのお役目も終了だな」
俺は名残惜しそうに言った。ケイが何かぶつくさ言い始めた。
「俺はあいつと日本に帰るから、まだまだ面倒みなきゃならないけどな」
「おまえ、負け惜しみ言うなよ」
アニーと目括せして、俺たちは自分の持ち場に戻った。
病院でひとしきりの検査を受け、個室のベッドに横たわったのを確認して、俺はやっと安堵のため息をつけた。もうこれからは俺の妻として家族として生きてくれ。この俺と結婚したんだ。ヘタレがどう動いてくるか知らんが、俺は自信がある。
こいつに話さなくては。なんちゃらレコードの誰だったか、デビューしないかだなんて笑える話だが一応、言っておかないと後々が面倒だからな。
半年ぶりに再会。半年も離れていて平気だったのも子どもたちのおかげだろうな。きっとこいつにも直ぐに懐くだろう。無垢な動物には好かれるからな。
賑やかになりそうだ。だがサムが言っていたが日本に帰るだと?そんなことは必要ない。目覚めたら話すことが山ほどあるな。家に帰る前に十分に話し合っておかなければ。
起きたらアニーが横に寝ていた。
イギリスに帰って来たんだなという実感が湧いてきた。ケイとサムはどうしたんだろう。久しぶりに自宅に戻って休めていればいいけど。もぞもぞと起き上がろうと動いたら、やはり起こしてしまった。
「あ、ごめん」
「俺は寝てないから気にするな」
え、寝てないの。余計に罪悪感がよぎる。でもとりあえずシャワーね。何から話せばいいのかわからなくて緊張する。半年間、どうやって過ごしていたのか聞きたい。子供たちのことも。
私のことはどこまで話すべきだろうか。でも最初に言うべきことは一度日本へ帰りたいということだけだ。まずはその話。
シャワーから出ると、先生が待っていた。そいういえばケイはもう医者ではない。いつもならケイが現れるのにね。今思い出しても、なんで気づかなかったのかと思うくらいだ。あれは完全にケイだったのに。
そしてお昼まではすることが無くなった。時間はそれなりにたっぷりあるということだ。
「あのさ」
私がちょっと申し訳なさそうに言い始めようとするのをアニーは遮ってまくし立ててきた。
「お前のマンションは解約しておいた。荷物はとりあえずうちに運ぶように手配したからそのうち届くだろう。俺の弁護士が日本へ行って手続きしてきたから心配ない。あ、俺はお前の夫だから代理の代理って感じだな。他に日本に行く理由があるか?温泉でも行くか?二人で。それはありだな」
これ以上見つめ合っていると流されそうになるじゃないの。この人は本当に目をそらさない人。そこが好きなところでもある。いつも私をみてくれている。
「えっと、ありがとう。いろいろ」
「いいんだよ。」
私の話なんかしてもしょうがないけど、簡単に両親のことは話しておいた。おそらく大体の記憶は戻っているはずだということも。アニーの方は私が去ったあと、一か月半後くらいにギルバートの手続きがやっと済んで、彼はやってきたらしい。その時、私がいないことにショックをうけていたが、そこは子供なのですぐに順応してくれたそうだ。それに、アンがすでに居たので二人は兄弟のようだと。そう話すアニーがすっかり父親みたいで驚いてしまった。
「だから養子にしたいのね」
私が困惑しながら聞くと、アニーは、
「そう思ったんだが、ボブたちには反対されてる」
へぇ。なんでだろ。金持ちが何人も養子をとるのは珍しいことじゃないのに。
「まさか、後継ぎ問題で揉めたりしそうだから?」
なんて言ってみたら、そうではないらしい。アンはあの国で古本屋にさらわれたらしかった。つまり、故郷に親はいる。いつか返してやった方が良いのではというのが彼らの意見だった。
確かにそれはそうだけど。半年も過ごしたらもう手放せないのが普通の感覚よね。
ギルバートも、結局母親は直接加担したわけではなく、彼が望めば親元に返す必要もでてくるとのこと。それは悩ましい話だ。
「とにかく、まだ事を進めるのは速すぎるかもしれん」
つまり、今は単なる保護者という立ち位置だそうだ。
「まあ書類上の関係なんてどうでもいいけどね」
実際、私たちだって書類上の・・・と言いかけて「しっ」っとアニーに口をふさがれた。久しぶりに好きな人とキスした感覚だった。
「約束を果たしに戻って来たんだから頼むよ」
そういって、病院を後にした。車の前でボブが泣きながら待っていた。私は素直に嬉しくなってボブに飛びついた。
「本当に良かったです。おかえりなさい」
そう言ってハグしてくれた。ボブは瞬間的にボスの殺意を感じてさっと私から離れた。
「なんだよ。俺と再会した時と全然違うじゃないか」
「は?疲れてたから」
「そうですよ、別にいいじゃないですか、ハグくらい」
ボブも反論した。
車に乗り込んでからしばらくは三人で夕飯を何にするかで揉めていた。結局、私が優先され、餃子を作ってもらうことにした。
「私は疲れてるから手伝わないよ今日は」
そう言って議論から抜けてアニーにもたれかかって目を閉じた。そうだ、ルイのことも彼には話しておこう。気がかりなのだということを。それに、アンのことも。誘拐なのか、親に売られたのかでは対処の仕方は違ってくる。ああ、またあの二人にお願いしなきゃいけないのか。もう迷惑はかけたくないから自分で調べよう。
その日の夜はかなり賑やかというか騒がしいディナーになった。皆が喜んでくれて幸せだった。私にも生きる意味があっていいのよね。誰に言っているのかもわからないけど、これでいいのだと思えた夜だった。
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