小説0
投稿日: 2025年3月16日
そんな時、久しぶりにショシュアが連絡してきた。あれ以来、何の音沙汰もなかったのに急に何かと思ったら、今夜、ある番組で歌うらしいのだが喉の調子が悪いとのこと。テレビ局に来てほしいという。それは気の毒なことだけど、アニーが許すはずないので無理だ、と返事をした。
「誰から」
アニーに聞かれたので一瞬焦ったが、隠す必要もないと思い直して説明した。アニーは溜息をついて考え込んでいたが「行ってくれば」と意外なことを言ってきた。
「生歌、聴きたいって言ってたろ」
「たしかに」
ついでに聴いてこよう。ボブと一緒に行くということで話が決まった。テレビ局なんて初めてだ。面白いことがありそうだった。久しぶりといっても十日も経っていないが、ジョシュアは少し大人っぽくなっていた。キラキラは健在なのだが、どこか寂しそうで心が痛んだ。
「ちゃんと加湿してる?」
私はそう言ってそっと喉に触れて温めた。こんなことは気持ちの問題なのだと言いたかったが、後ろめたい思いが心から彼の喉の不調を改善させようと念を込めた。
「ありがとう」
彼はにっこりそう言ってリハーサル会場へ向かって行った。ボブが「本当にこれだけのことでユキを呼びつけたのか」とうんざりしたような視線を送ってきた。まあ、いいじゃない。彼は歌うことに命かけてるわけだから。それでいい。
本番も見学できるというので、控室で待っていたが、この番組はオーディション番組だという。ジョシュアたちはその審査員を兼ねて最初にライブを披露するらしかった。これは生放送なんだということがわかった。途端に妙な緊張感が走った。私が歌うわけでもないのに。
そのうち理由がわかった。別の部屋に集められた出場者たちが緊張の渦につつまれていたのだ。
「ユキは歌ったりしないんですか」
ボブが飲み物を買って戻ってきた。私は人前では歌わない。タダでは。なんて言ってみたかったが、本当に目立つのは好きじゃないので首を振ってごまかしておいた。
「なんか、パートナーが来ないって焦ってるやつがいましたよ」
あらあら。ありがちなトラブルですこと。こればっかりはどうにもできないよね。可哀想に。
「それで、一人で来ているやつに片っ端から声をかけてるみたいで」
ちょっと待てよ。ふいにチャンスが来たように感じてしまった。その子にとりあえず会ってみよう。立ち上がって廊下に出ようとしたら、ドアがノックされ男の子が入ってきた。こいつですよ。ボブが言った。
「あの、歌とか歌ったりしませんか」
ボブに向かって聞いている。ボブが「俺かよ」とうろたえ始めたのでおかしくなって笑ってしまった。そう。ボブが出ればいい。
「ふふ」
声に出た瞬間、男の子が私を見た。ボブが嫌そうな顔をしているので、
「あなた、別に一人で出ればいいじゃない」
無理に直前にパートナーを作ったって失敗するのがオチだ。
「僕、一人は無理なんです。せめてサビの部分だけでも誰か歌ってくれないと」
「それは無理でしょ。審査員だってそんなの即席コンビだって見抜いちゃうよ」
「じゃあ棄権するしかないです」
しょんぼりする男の子にイラついてきた。根性無しが。
「わかった。私の知ってる曲で良ければピアノ伴奏で出てあげる。あとサビのハモリね」
どうやらジョシュアの曲が課題曲らしい。それなら大丈夫か。三十分程度、適当に打ち合わせして本番に参加することにした。もちろんジョシュアには内緒だ。
ジョシュアたちが新曲を歌っているのを会場の端で聴いた。本当はこれを聴くためにイギリスに来たのに、不思議なものだと思った。私はもう、一人のファンに過ぎない。長居はしたくなかったので、オーディションの順番を最初に持ってきてほしいとスタッフに頼んだ。案外すんなり受け入れられて、私はあたかも元から彼のパートナーだという体でステージに出た。念のため持ってきていたメガネをかけ、服も着替えてジョシュアにもバレないように気をつけた。
ピアノは感覚で弾ける。これはバラード調なのでゆったりと悲しげに。ステージに上がる直前に聞いた名前、レイという男の子が歌い始めた。きれいな声だ。ジョシュアと似ている。本当のパートナーが来ていたら結構いい線までいけたのではないかと思った。
君は僕から離れていかないよね。
信じている。信じている。
君が居なくなったら僕は。
誰に嫉妬すればいいの。
サビの部分はレイの邪魔にならない程度に合わせて歌った。私のピアノに合わせて歌ってくれているので彼が私に合わせているように聴こえてしまったかもしれない。練習もろくにしてないのだから致し方ない。それでも出たいと言ったのは彼だ。
サビを転調して繰り返し、終了。その瞬間、大歓声とともに拍手が響き渡った。良かった。
安堵して、私はステージの袖に消えた。レイがインタビューを受けている間に退散するつもりだった。だがそうはいかなかった。ジョシュアがステージに上がってきてそのまま袖に入ってきた。
「待って」
そう言って私の腕をつかんで振り向かせた。
「ええ?」
すぐにバレてしまった。私はジョシュアに負けないくらいの笑顔でにっこり笑ってみせた。
「君が歌うなんて」
事情を話して帰らせてもらおうと思ったが、ステージでレイが全部正直に話してしまったようだ。他の審査員も私のところへやってきてステージに戻るように言ってきた。
レイが「お願い」というしぐさをして手招きするので、後に引けなくなってしまった。
「私はただの日本人観光客で、さっきたまたま困っていたレイに出会ったんです」
と経緯を説明し、今日合格しても次に彼と出るのは別の人間だと言った。審査員は困惑していたが、一応、レイは合格した。
ヘタレが出る番組を見るのは初めてだが、一度くらい観てやろうという気持ちでテレビをつけた。やつらが歌い終わってすぐに最初の参加者の演奏が始まったのでそのまま流れで観ていたが、盛大にビールを撒き散らしてしまった。
「どうなってんだ」
変装しているようだがユキだろ。何やってんだあいつ。それも作戦なのか。大したやつだ。言葉もでない。そして透き通るような歌声。俺の心拍数を上げるような歌い方はやめてくれ。
ヘタレ二号みたいなやつに恩を売るためか?それとも敵に見つけさせるためか。そうだろうな。完璧だ。これは思った以上に速い展開が待っていそうだ。せっかちなやつだ。ビールの二本目をがぶ飲みした。
返ってきたボブの胸ぐらをつかんで怒りをぶつけた。ボブは悪びれもせずに「ユキは多才ですよね」と得意げだった。お前はあいつのマネージャーにでもなったつもりか。怒るきも失せる。
あの後、サムからも「気をつけた方がいい」と電話を受けた。大半の人間は気づいてないだろうが、ユキを知っている人間から見れば隠しようがない。あの医者の差し金か。
「おい」
「いや、ほんと、偶然なんだってば」
「そんなわけあるか?どうせあの医者あたりが二号のパートナーが会場に向かうのをどっかで阻止したんじゃないのか」
「二号?」
「あ。いや」
まあ偶然だろうが意図的だろうが、行かせた俺が悪いということだ。それに、誰に歌ったのかと想像するだけでこっちが嫉妬に狂いそうだ。そんなこと、こいつはわかりもしないんだろう。
「約束は守ってもらう」
「なんだか合言葉みたいになってきたね」
バカの一つ覚えみたいに連発する俺を楽しんでいるかのようだった。
「やっと私の存在を思い出してくれたようだ」
何度も動画を観て嬉しそうにワイングラスを傾ける男がいた。
「おい、飛ばす準備をしろ」
言われて何人かの男が部屋を出て行った。
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