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シングルマザー卒業と独りよがり小説

小説0

投稿日: 2025年1月3日

「そろそろ潮時なんじゃないですか」

ボブが言った。

 

それは俺もわかっているつもりだ。遅かれ早かれ、記憶は戻る。考え事をさせないように睡眠薬ばかり飲ませてきたが、そうまでしてこいつを留めたいのは、単に興味があるだけではない。

 

「愛ってやつですかねぇ」

明らかにここに居てもこいつは幸せではないだろう。安全ではあるが。しかし、あのヘタレの傍にいたってそうだろう。警官でも同じだ。あいつは自由を好んで誰のものにもならないか、誰のものにでもなるか、どっちかだ。スパイ並みの身体能力と攻撃力は俺の仕事にも必要だ。俺たちは仕事の上でもベストパートナーになる気がしていた。

 

そろそろ目覚めるか。ベッドに腰かけて彼女の頬に触れようと手を伸ばすと、急に目を開けてこちらをみた。

「誰」

恐怖に怯えた顔は初めて見る。

誰だと? 「誰」、そう言ってまた眠ってしまった彼女に触れながら俺は決心した。これからは正々堂々とこいつと向き合おう。

 

 

「まあ運命ならまたチャンスはありますよ」

そう言いながらも残念そうにのちこちと車を走らせるボブに「お前はもう忘れろ」とつぶやいて彼女を抱きかかえる手に力を入れた。奴の家にはまだ警官がいるのか。ちょうど良い。少し離れた場所にシーツにくるんだ彼女をそっと寝かせた。車を出し警官の前を通るときに、「いったん返す」と後ろを指さしてそのまま走り去った。後方で、警官が彼女を発見し慌てふためく様子が見えた。

 

 

 

 

またこの夢。前世で自分が双子だったか、双子に裏切られたか、そうでなければこんなトラウマになるような経験ばかりするはずがない。好きになった人がたまたま双子で、もう一人同じ顔の人間が後から現れるのだ。誰も悪くない。でも双子の結束は固い。私のためにケリをつけたと思われたが、なんのことはない、陰のために命を投げ出しただけだった。到底そんなことで納得できるはずもない。私も陰も残された方はたまったものではない。結局死ぬことすらできずに、ビルの屋上から落ちて死ぬ恐怖に悩まされて生きてきた。あの人がどうしているかは知らない。道を踏み外していなければいいけど、表に見えてこないということは、兄の跡を継いだのだろうか。離れてしまった私たちを彼はどう思って天から見下しているのか。怖くて死ぬこともできずにいる。

 

「ハイ」

ジョシュアがこっちを見ていた。それ以上何も言ってこない。怒っているのかな。でも泣いているようにも見える。

「あれ、私、なんで寝てるの」

サムと一緒にひとっ走りしに家の外へ出たはずなのに。

 

「もしかして倒れちゃった?」

まさか。恐る恐る聞いてみた。

「そうだね。倒れてた。でも無事で良かった」

そう言って彼はベッドに顔をうずめた。そんなに心配したんだ。ちょっと嬉しくなった。

 

すぐに医者がやってきて、ジョギングに出たのは三日前で、その間の記憶が抜け落ちていることを知らされた。何があったのかは誰も教えてくれなかった。何もなかったとジョシュアは言ったが、三日間も意識が無かったのなら病院にいるはず。サムはどこにいるのだろう。話したい。彼なら知っているに違いないと思った。

 

この病み上がりのようなふわふわした感覚がしばらく続いている間、私はおとなしく部屋にこもって机の上にある私のノートパソコンを眺めていた。どことなく他人行儀になったジョシュアはそれでも私の傍にいつもいたが、まさか仕事を休んでいるとも知らずに、他の三人の様子を聞いたりして時間を過ごしていた。キラキラ感がなくなったわけではないが、彼の私に対する愛情があったとしたら、それも半分以下に減ってしまったようにも感じた。去る者は追わず主義の私は、自分が捨てられる、傷つけられるのを恐れて完全に壁を作ってしまった。そうだ、もともと一週間ほど彼との交流を楽しむつもりで来ただけなんだ。

 

 

「私、そろそろ帰るよ。予定通りに」

ジョシュアの反応はかなり曖昧だった。安堵なのか不安なのかわからない表情。思い切って続けた。

「ほら、記憶が戻らない方が良いって思ってるでしょ」

戻るころには遠い日本にいるのがベストだ。たぶん。

「ちょっと待ってて」

そう言って部屋を出た彼だが、誰かに相談しに行ったのだろうか。窓から警察の人も見える。しばらくしてサムが部屋に入ってきた。

 

「失礼」

「ハイ」

何か久しぶりだ。やはり聞くべきなのかもしれない。何があったか知っているのは彼だけかもしれない。

 

「君が日本に帰る話なんだけど。いろいろあってまだ出国は無理だ」

「いろいろ?事件は解決したんでしょう。ホテルの男は何者だったの」

「ああ、そっちは解決したんだけど」

 

聞くと、ジュリはやはり自殺していた。双子はどちらかが欠けるとそれだけで生きられない人もいる。男はキャサリンのおっかけ信者みたいなモブで、頭がいかれていたらしい。サムを狙った、というオチで良いと思うけど、警察は私への攻撃だったと結論付けたようだ。どうでも良いが、つまり私がこの国に拘束される必要はない、はず。

 

「その手、どうしたの」

ふと私は彼の手の甲に絆創膏が貼られているのに気づいた。

「ああ、たいしたことじゃないよ」

 

そういって右手を隠した。怪しい。もしかして帰国できない理由がそこにあるのかもしれない。

「何があったか教えてくれないなら、自分で調べるだけよ」

私はパソコンをチラ見してみせた。彼が隠し事を出来ないように、私も自分をさらけ出す作戦に出た。

「もうわかってると思うけど、私、ハッキングが特技なのよね」

じっと見つめてくる。

「若いころは、ぶっちゃけクラッキングもやっていたけど」

 

「わかった。はっきり言おう。君は三人殺してる。理由はあるから逮捕はされないが、そのせいでマークされているのが事実だ」

 

彼が申し訳なさそうに事件について教えてくれた。なるほど。そりゃクラブで殴られたら記憶も飛ぶわ。やられたらやりかえすのも当然。サムが木の根元にピン止めされた姿は想像できないが、ジョシュアの罪悪感が前ほどではなくなったことには納得ができた。

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