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シングルマザー卒業と独りよがり小説

小説0

投稿日: 2025年1月3日

「どうなっているんだ」

彼女があの連中と楽しそうに会話をしてるのを遠くから眺めていた俺はつぶやいた。警察が彼女を救出するチャンスがあったとしても、あれじゃこっちがやられるかもしれないじゃないか。あいつ、それがわかっていて連れ出したのか。余裕じゃないか。彼女の記憶がいつ戻るかなんて誰にもわからないというのに。

 

昨日のことをジョシュアに話したが、彼は「彼女が無事なら、それでいい」とだけつぶやいてまた部屋に籠ってしまった。

メンバー三人が代わる代わる自宅を訪ねては様子をみている状況だ。彼女が戻ったとき、歌うのをやめたお前をみたらがっかりするだろう。そう説得されて、かろうじて新曲のレコーディングの準備は進めているようだが、いつまで続くかわからない。そもそもチャラ男か王子様キャラのジョシュアだ。もしかしたらもう彼女のことなど忘れたいのかもしれない。新しい出会いを求めたいが、まだ早すぎるという思いで耐えている可能性もある。彼のせいで彼女が怪我をしたのも、俺の方の事件がデカすぎて責任も薄れた可能性もある。それならそれでいい。彼女に責任をとる役目は俺が引き受ける。

 

そう思って車のラジオをつけると、彼らの曲が流れていた。

 

君は僕から離れていかないよね。

信じている。信じている。

君が居なくなったら僕は。

誰に嫉妬すればいいの。

 

俺はラジオを切って、追跡に集中した。

 

 

 

ビジネスというわりには、こんなショッピングモールの一角で取引するんだ。さすがヤクザ。

アニーの腕につかまってキョロキョロしてしまった。こっちにきてから初めての外出のようなものだ。ほどなく取引相手がやってきて、商談らしきことを始めた。立ったままだ。映画みたいだな。と思いつつも、退屈になった。つまらない。するりと彼から離れ、とりあえずトイレに向かった。アニーが目配せすると、ボブともう一人が追いかけてきた。

 

「私、ちょっと外の空気吸ってくる」

「え、ダメです。ボスの傍にいてくれないと」

「大丈夫、すぐ戻るから、仕事に戻ってよ」

「いや、無理です」

「なんで?大丈夫だよ。私、強いんだよね?」

「え、ええ」

「ほら、あの展望台?行ってみたい」

 

そういうと、トイレに入ってそのまま裏口から外に出た。二人がトイレの前で待っていられるのも数分くらいかな。展望台、上がれるかな。高いところが好きな私は興奮した。

尾行してきた警官たちも、トイレの前を見ているはすだ。

広場の真ん中にある小さな展望台にはエレベーターもあったが、ほとんどの人が階段で上がれるくらいの高さだった。それでも景色は最高だった。風が心地よい。遠くが見える。

 

「ああ」

声がしたのでデッキの反対側を見てみると、女の子が半泣きになっていた。

「諦めよう、他のを買ってあげるから」

父親らしき人に言われてもグズグズしている。かわいそうに。どうやらお気に入りのスカーフが風に飛ばされたらしい。父親が手すりにつかまって上や下を覗いてみる。

「あ、あった」

身を乗り出してみるとスカーフの先っちょだけが斜めになっている屋根にかろうじて引っかかっていた。

「取れないよ。そろそろ帰ろうか」

父親が言うと、女の子はとうとう泣き出してしまった。

 

私は無意識のうちに、手すりから乗り出し、屋根の縁に足をかけ、くるっと勢いで屋根に上っていた。一瞬にして私が消えたので、父娘はさぞびっくりしただろう。状況を把握しきれていないうちに、丸めたスカーフをテラスに向かって投げ入れた。父親の方が「大丈夫ですか」と声を張り上げたので、係員も駆けつけてきた。下で大騒ぎになっているようだったが、私は屋根の上で立ち上がり、全身に風を受けて感動していた。この感覚。何か思い出して。

 

騒ぎを聞きつけて、地上にはたくさんの人が集まりつつあった。警官らしき人もいる。あれ、大事になっちゃうかな。なんか頭のイカれた女にされそうだ。でも、もうしばらくこのままでいたい。深呼吸した。

 

「おい、何やってるんだ」

アニーの声がした。テラスまで来たのか。

「何って、スカーフが飛ばされたから取ってあげてただけ」

「頼むからそこでじっとしていてくれ」

別の声が聞こえた。誰?

 

「一体、どうやってあそこに?」

「どうすればいいんだ、ちくしょう」

「おい、動くなよ」

「すぐ助けに行くから」

2人の声が交互に聞こえてくる。一人が屋根に手をかけようとしたので、慌てて言った。

「大丈夫、今戻ります。下がっててください」

そう言って、テラスに下りようとまた屋根の縁に手をかけた。その瞬間、どこか、ここではない別の場所、もっと高いところにいる自分がいた。

 

「え」

と思ったら、手が伸びてきて私はテラスに引きずり込まれた。

「誰」

知らない人に抱き留められていた。手に包帯を巻いている。もしかして例の警官か。この際だ、少し話がしたい。

「あなた、どこかで見たことある」

言いかけた時、アニーが私を引きはがした。包帯の手が私の腕をつかんだ。

「いたた」

「あ、すまん」

警官が手を離した。

「手、どうしたんですか」

答えを聞くこともなく、アニーによって下へ降ろされた。

 

私の肩を抱いたアニーが深い溜息をついて、帰るぞ、とつぶやいた。車の中でぼんやり考えていると、飲んで、というしぐさで彼が水とサプリを差し出してきた。ああ、鎮痛剤という名の睡眠薬ね、記憶が戻らないように結構がんばってるんだ。何のために? 記憶が戻ると殺さなきゃいけないからか。ブツブツ声にはなっていないと思うが、日本語だから彼には理解できないだろう。言いながら眠ってしまった。ジョシュアは何してるんだろう。え、ジョシュアって誰。

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