最後の旅
投稿日: 2025年8月11日
この旅行がおまえの最後の旅だなんて、一体、誰が言ったのだろう。失礼な人がいるものだ。
なんて。まあ、それは他でもない私なのだから何とも言えない。
数年前、新種のウイルスが世界中に蔓延した。それ以降、私にとっては泊まりがけで出かけることなど皆無となっていた。
現在もそのウイルスは猛威をふるっているのだろうが、もう人間はさほど気にしていない。
あの時、感染して酷い目にあって、なおまだ生きている人たち---私も含めてだが---は、いまたに警戒はしているがそれもかなり和らいできているのが現状だ。
日本に来る外国人の数も増え、通常に世の中が回っているかのようにみえているが、国内、各観光地というべき言うべき名所たちは日本人以外の人間であふれかえり、そのおかげで宿泊施設も料金をはね上げ、結果的には私のような一般人が気軽に行けなくなってしまった。
加えて、自分の家が一番落ち着くという、出不精極まりないこの性格も足を引っ張っていた。
いい加減、行こうよ。
唯一の娘が、しびれを切らして提案してきた。
その観光地は、娘が幼い頃は毎年夏と冬と訪れていた馴染みの場所だった。
観光地というか避暑地A。
もちろん、その駅を拠点にいろいろと観光地はある。だが、娘が中学生くらいになる頃には滞在先のホテルでボケっと過ごしては、また馬車馬のように働くという現実を繰り返していた。
上げ膳据え膳さえできれば、なんの文句もない私にとっては、それが当たり前の旅行だった。何度かホテルは変えてみたりしたが、結局は駅から一番近いこのホテルに定着していた。
娘にしても、私がイライラするよりかはご機嫌なままでいてくれる方がマシと学んだからだろう、あそこに行きたいだの、あれがやりたいだの言うことも無くなった。
いかにのんびりするか、ということが旅行の醍醐味であり、またそれが一番大切なことであるというのを親子で共有できたことは、自分の子育てを自負できる所以だ。
そもそも、いろんな所へ連れて行ったことも娘はろくに覚えていない。覚えていたとしても、その記憶が彼女の人生に何かをもたらしたか?と考えると、何も出てこないのが現実だ。
日本経済をまわした、それだけだ。
いい加減、ホテルから常連客の認定がなされても良い頃だったが、あのパンデミックのおかげでリセットされてしまった。
とはいえ、こちらはホテルスタッフの顔はよく覚えているのだから、接客のプロが何故そういう客をチェックして覚えていないのかは、本当に謎だ。夜の食事処にいたスタッフが翌朝の朝食会場にもいて、昨夜はありがとうございましたなんて言われるのは当然なのだが、その人がまた夜の食事の際に、同じことを言うので結局、私たちのことなど覚えていないのだろう。
そして、気を取り直していつものホテルに予約を入れたのが、約1ヶ月前という話だ。2名食事込みの宿泊代で13万円ときた。もちろん2泊なので夏休みにしては妥当なところだろう。
今までは現金で支払うために十数万円を持ち歩いての旅行だったが、今回はいよいよカード払いにしようと決め、カードとスマホだけで身軽に出かけることにした。
さて、旅行自体がかなりのお久しぶり、なのだが、忘れかけていた過去が、出発前までに幾度か思い出されて私を後悔させた。
旅行というものは、計画を立てて予約を入れるまではわりと楽しく、浮足立つものだ。あとは行くだけ、と出発日を待つ状態になると、気分は一転する。その日に体調を崩さないように気をつけていると半分うつ状態になるし、着ていくものも用意しなくてはならず、ここにきて宿泊代以外にも相当の費用がかかることを再認識することになるのだ。
体調に関して言えば、女性特有のあれが問題だった。旅行先はいわゆる温泉地。
生理なんかきたらもう気分はどん底だろう。
もちろん、何年もの温泉旅行では生理真っ只中の時もあった。
家族旅行なので、さほど気を使うこともないのだが、やはり温泉に入れないのは悲惨。世の女性は皆、そう思うだろう。
家族旅行ゆえに、トイレのタイミングも自分で決められるし、元々のんびりするのが目的だから観光もしない。
だからこそ温泉に入れないのは悲しい。と、なりがちかもしれないが、私の場合は温泉に入ることすら義務化するため、義務が減ることは大歓迎だ。
いつも、到着したら直ぐに大浴場へ行き、夕飯を食べてから気が向いたらまた温泉、朝は5時に起きて温泉。これが私の温泉ルーティンだった。温泉に入ってのんびりする。そういうものだと思い込んでいた節はある。実際はバタバタだというのに。
ダバダバ出血さえしなければ、のんびり出来る。道中の不安は尽きないが、タンポンでなんとかしのぐのが定番だ。
まあそれも過去に1回だけの話だった。
今回は、娘が貸切風呂を予約してくれたので、万が一、生理がきても温泉には入るつもりだった。細菌?そんなことはもはや心配のタネでもなんでもない。当然タンポンはするし、タオルをあてて入浴する。そもそも、湯船につかっていると出血しないという話は本当なのだ。
そうこう、あれやこれやと1ヶ月はあっという間に過ぎる。
憂うつな中過ごした1ヶ月。それでも、無事に当日を迎えた時には再び喜びの感情がわいてくる。不思議なものだ。当日もいつも通り起きて、排便も済ませ、避暑地Aへゴー!だ。最高のスタート。
だかそうは問屋が卸さない。今度こそ、娘と喧嘩しないよう、イライラしないようにしようと誓うのだが、これがなかなか厳しい。
決めた時間の電車に乗るべく、余裕を持って家を出たいのが私だ。ところが性格の不一致とはこのこと、時間の感覚が私と違う娘に結局イライラするのだ。
前日まで言っていた出発の時間で、もしそれで1本早い電車に乗れたら途中で乗り換えずに済む。その思いが私を急がせた。しかし娘はそんなことはどうでもよく、最終的には予定時間を微妙に過ぎる。そもそも準備ができていないのだった。
これを、予定の範囲内とする性格と、完全に出遅れたと後悔する性格の違いだ。
そこに、とどめの1矢が飛んでくる。
彼女はもう私の扶養から外れる。いや、外れている。なのに、財布すら持たない、持つ気がない。しかも玄関を出るタイミングですでにギリギリなのに、駅でチャージしてくれないと改札に入れないとのたまう。
今回現金をあまり持ってない私は、余計にイライラマックスとなる。
急ぎ足で歩きながら、自分の定期入れに忍ばせていたチャージ用の一万円を娘に渡し、間に合わなければ現地で待ってる。と言い残して駅に向かった。
はあ?と言う娘の声を後にして、さっさと歩いた。なんでこうなるのでしょうか。むしろ、これが旅行の醍醐味なのだ。と自分を奮い立たせて、歩いていた。後ろなんか振り向くものか。
こんな思いをするのも、これが最後だ。
ここで、もう一つ私の毒親っぷり満載のエピソードがある。この旅行で、私の疲れとイライラを少しでも軽減して、気前良くいろいろ買ってもらおうと目論んでいる娘が、着替えやらの荷物は自分が持つからと、2人分の荷物をまとめて大きなボストンバッグに入れ直した。
私はその言葉に甘えて、その時もイライラすまいと誓ったわけだが。その荷物を娘に持たせたまま、駅のホームに先に着いた自分が、少し罪悪感を感じていることに気づいた。何故、楽しいはずの旅行が、出発早々、こんなことになるのだろう。5分前行動ができない人と行動を共にしてはいけない。これは私の人生における重要な教訓だ。
だから何だってことだが、こんなのも最後なのだと気を持ち直した。
結局、娘は電車に間に合ったが、それもチャージしなくても改札を通れたから、とのこと。
玄関でそんな時間ないからと降車時に精算しようと言った私に対して、いやいや初乗り料金分もないからと一万円せしめた娘。彼女にとってはこれも戦略のうちなのだろう。その証拠に、置いていかれたことにもさほど腹を立てていないようだ。
複雑な思いのまま、乗車。もちろん座れない。次の駅で7人がけの席の真ん中が3つ空いた。座ろうとしたら、反対からきた学生風の男が、私たちをみたのかみていないのか、その真ん中に座った。普段なら電車で座ろうなどと考えもしないのだが、今回は遠出だ。1時間以上は乗車するので、何としてでも座りたかった。
私たちは仕方なく、彼を挟んで両脇に座った。いや、普通の人間ならそこで連れだと気づいて真ん中を譲ってくれそうなものだが、その男は何も感じないらしい。というか、そもそも混んでいる車内で、3つ空いた席の真ん中に座ろうが両端もすぐに埋まると思わないのだろうか。永遠に自分の両脇は空いているとでも?謎だ。
まあ、心境は理解できる。私はむしろ娘と離れて良かったと思いつつ男を許した。ウソ。気が利かないダメ男はダメだ。そいつはマスクをしている私の真横で、咳をした。もちろんノーマスクだ。
お前のような輩がウイルスを蔓延させているのだ。死ねば良いのに。せめて、そういうのを気にしてないノーマスクの娘の方に向けて咳しやがれ。またしてもイライラがマックスになりかけていた。
そのうち、私の隣の女性が降りたため、娘がそこに座った。まあいい。さあ、ここからが旅行だ、と思うことにして、扇子で輩の息がこっちに来ないようにした。無神経だから私がそうやっていることにも気づいていない。
そいつもキャリーケースだったので目的地が同じなのだろうかと危惧していたら、みごと的中した。ストレスフルな旅路だ。
うちに車がないと知って、娘の友だちがじゃあ旅行とかどうやって行くの?なんて聞いてくるらしい。逆に電車や新幹線、飛行機を使わないカー旅行って一体どこに行くんだ?近場なのか? という話をしていて、この旅行も実際のところは日帰りでも行けるような場所だ。車ねぇ。運転する人間だけが疲れる旅行なんて、よほど他の家族のことを愛していて労ってあげたいから運転するくらいの聖人にしか務まらないだろう。
電車を降りてからしばらくは輩の動向を見ていたが、改札を出たそこから先は知る由もない。ホテルで再会しないことを願った。
他人のことはどうでも良いが、電車では娘が隣にきてやっと水分補給ができた。500MLのお茶のペットボトルを2本、娘に持ってもらっていたのだ。あの感染症以降、飲み物の共有も完全にやめたので、間違えないよう1本のペットボトルのカバーをわざと剥がしておいて、私がそちらを飲むつもりだった。しかし娘が先にそっちを飲んでいたので、私はカバー付きの方を飲むことになった。
ケンカしないと誓っても、そんな約束が簡単に守られるなら誓う必要ないだろう。なぜ誓うのでしょうね。ウソなのに。
でも今度こそ、出発!という気持ちに切り換え、また誓うのだった。
ホテルのチェックインまではまだ数時間もあるので、私たちは近場で一番大きな駅の周辺でランチした。さすがに荷物を娘に持たせ続けるのは忍びないので、コインロッカーにボストンバックを預けた。これで対等だ。いや何故子供を対等にする必要がある?ちらっとよぎった思いを、出発時の罪悪感が消してくれた。700円なんて安いものだ。
開店の5分前に、あらかじめチェックしていたその店に到着した。外で待つ人のために日傘が10本ほど置いてある。連日、そうなのだろうか。さすが観光地。でも私達の他には、地元の人風の親子と、常連さんらしきオジサンが待っているだけだった。
ここでも、謎の現象が起こる。リストに名前を書かせることに反対はしないが、開店してから1人のスタッフが1組ずつ中に入れていくので、入店までにさらに5分待つという。これは今の当たり前なのだろうか。前にも似たようなことがあった。こことは違って広い店で開店前に名前を書き、やっと呼ばれた時には開店から25分経過していたという。10組を案内するのに何故そんなに時間がかかるのだろう。段取りが悪すぎる店ばかりだ。
この店は、小さなカフェで、待っていた客も3組。一気に店内に入れたらよろしいのに。
まあ文句は言うまい。お目当てのものをいただき、満足して外にでた。
あ、私は満足したが、娘はそうでなかったらしい。
食後にソフトクリームを頼んだのだが、バニラとチョコがあり、チョコ嫌いな娘はもちろんバニラをオーダー。ところがどういうわけか、コーンの部分が黒い。チョコ入り。絶対にチョコは食べない娘がコーンを残して席を立ったとき、それを客のオジサンが二度見したのを私は見逃さなかった。コーンが美味しいのに。という声が聞こえてきそうだった。
ホテルチェックインまでまだ数時間あるのに、すでにやることが無くなってしまった私たちは、あたかも地元民のように駅前のカラオケボックスに入っていた。まあ荷物は駅のロッカーに預けているので完全に地元民だ。
旅行先でカラオケする親子がこの世にどれくらいいるかは、知ってみたい。他に観光名所はたくさんあるのに、そこまで足を運ぶ気力すらない私の手にかかればこんなことになる。念のため言っておくが、カラオケを希望したのは娘の方だ。
娘が2時間コースを慣れた感じで手続きし、カラオケスタート。だが私には歌う気力すらもうない。それどころが突然睡魔に襲われ、娘がやかましく歌う部屋で爆睡していた。いつもは夜中に歌う娘の声がうるさくて寝られないのに、不思議なものだ。
あっという間に時間は過ぎ、無事にホテルまでたどり着けた。
過去にここに来た時は今回みたいにどこかで時間をつぶすようなことはしていない。ホテルのある駅構内のカフェで軽く飲食して、あとはチェックインまで数時間、ホテルのロビーで過ごしていた。まさにボケっとソファに座っているだけだ。幼い娘もゲームに夢中でやり過ごせた。
15時からチェックインのはずが、14時半過ぎに到着するとすぐに手続きしてくれた。数年ぶりのホテルだ。対応が良くなった?なんて機嫌よく部屋に入り、一息ついた。ペットボトルを冷蔵庫に入れ、荷物を整理して16時からの貸切風呂に備えた。
結果から言うと、貸切風呂は良かった。気兼ねなく過ごせる。2人なので狭く感じることもない。ゆっくりできる。とはいえ45分という時間制限はあった。熱い温泉にそんなに長く浸かっていられるタイプでもないので、結局10分も前に受付に鍵を返すこととなった。それでも十分満足だ。もう私にとってのお風呂は、身体をきれいにするためのものでしかない。
貸切風呂を利用する人は少ないようだ。それもそうだ、大浴場という温泉を最大限に満喫できる施設があるのに。生理中ならもう部屋のシャワーで我慢するしかない。私みたいにわざわざ貸切ってまで入りたいと思うだろうか。私の場合は家族が全員女だからできたことだ。これに男が混じっていたらいくら家族とはいえ無理だろう。主な利用客は、体の不自由な人。ご老人を介助しながら入れたりするために利用する。大浴場でヨボヨボの人を連れてきている人もみたことはある。いつも思うのだが、なぜそこまでして?
親孝行したいからだろうか。謎だ。老人の方も本当に行きたいと思っているのだろうか。出資者として担がれているだけのように思えて、私がああなったら絶対に旅行なんてないから、と娘に釘をさしておいた。そういう意味でも、これが最後の旅行なのだ。改めて気を引き締める。喧嘩しないように。
夕食はフランス料理のコースを予約していた。このホテルへ泊まるたびに必ずフレンチを選んでいる。今回は娘が成人して初めてだ。
スパークリングワインを飲もうと2人で決めていたが、驚いたのが、今まで何を飲んでいたのか思い出せないくらいお高い料金設定のアルコールだった。シャンパン、1杯2300円ときた。恐れおののいたが、これを飲むために来たのだからとオーダー。
娘はさほどこだわりが無いので白ワインを頼んでくれた。と言ってもそれだって1杯1600円だ。
旅行に来ると、せっかくだから。という思考になる。財布の紐が緩くなるのはこういうことなのだろう。
結局、私は2杯目に赤ワインを頼み、それで終わりにした。コースにも満足できたし、ホテルのスタッフたちの対応も完璧で、
あ、赤ワインを頼んだのに白を持ってきたというハプニングはあったが。初日はご機嫌で終了した。ことにする。
部屋に戻ってからまた温泉のことを考えなくて済むのも、今回は良かった。歯磨きして寝るだけだ。冷蔵庫からペットボトルを取り出し水分補給してベッドに入ったら寝てしまった。娘はしばらく野球観戦をして騒いでいたのだが、耳栓を持ってくるのも忘れたのに、どういうわけが直ぐに寝ることができたようだった。
翌日、晴れたらしょうがないのでどこかへ出かけようかと思っていたが、起きてみれば土砂降りだった。
朝はブッフェ。7時からなのでちょうどその時刻に着くように部屋を出た。まだ時間より早かったがすでに客は通されていた。いつもは過ぎていてもしばらく待たされていたのに。また少し感動して広い食堂に入った。
昨夜のフレンチの店にいたスタッフが今朝はここにいた。昨日はありがとうございました。と声をかけてくれる。はい、ここまでは普通。
本当は、私はバイキングが好きではない。何故自分で動いて配膳しなくてはならないのか。ゆったり座って上げ膳据え膳が良いのに。それでも娘が行きたいというので、初日はここにしたのだった。好きなものを好きなだけ食べられるのは最高だが、私が好きなものって何だろう。結局いつも通り、サラダとパンとコーヒーなのだった。
そんなことで、翌日の朝食はカフェの朝食セットを予約することにした。こちらのデメリットは、開店時間が7時半と少し遅いところにある。でもそれでも勝手に出てくるのだからのんびりできるだろう。
部屋に戻り、土砂降りの雨音を聴きながら今日の計画を話し合う。ホテルから一歩も出ないにしても、清掃はしてもらいたい。その間、卓球でもするか。ということになった。以前はそうしていた。時間があれば卓球をしていた。今思えばそれも30分いくら、だったのだが、当時は気にもしていなかった。
しかし、10時くらいに雨が小降りになってきた。私たちは結局、一回外に出ることにした。
ドアノブに、清掃お願いします、の札をかけ、室内のアンケート用紙にシーツも替えて欲しい旨のメッセージを残した。そうでもしないと、連泊はエコだなんだとシーツを取り替えないことが美徳のような風潮に無理やり倣わせられる気がしたのだ。以前、え、替えてないんじゃ?的なことがあったので、念には念を入れた。2泊だからって値段が安くなるわけではない。受けられるサービスは全部受けさせてもらう。
行き先は、私が目星をつけていたカフェだ。娘がネットでチェックしたとき、私の好みではないんじゃないの?と言ってくれたが、小雨とはいえ風も強くて傘がさせない天気だったので、すぐに入れるそのカフェにした。
予約はしてないが、何とか滑り込めた。ゆったりしたソファー席だったので、二人で壁を背にして座った。カップルのようだ。
コーヒーを頼んで、正味1時間くらいはいた。
外国人が多かった。私たちと女子4人組以外は外人だ。喫煙席も扉で分煙されていた。ここで、経験したことがない現象が起こった。喫煙席から出てきた外国人の女性が、うろうろと店内を見渡したかと思ったら、私たちの席にきて、座っていいか聞いてきたのだ。確かに他は満席で、私たちは片側に座っているのだからそうなるのも当然か。かろうじてOKという英語を発し、その後、外国人旅行者とコミュニケーションか、なんて緊張した。が娘もそうだか、彼女も会話する気なんてまったくなかった。
彼女は持ってきていたコーラをテーブルに置いて私の前に座った。以上。それだけだ。スマホで帰り際に交わす挨拶を探っていたら、覗き込んできた娘に笑われてしまった。そうこうしているうちに、外国人の方が先に去っていった。バイバイも言わずに。
コーヒーを飲むとトイレに行きたくなるので、私たちも店を出てホテルに戻った。部屋に行ってみると、清掃が終わっていた。
シーツもきれいに替えられていた。私のメモを読んでくれたのだろうか。アンケート用紙のコメント欄をわざと外側にたたんで机の上に置いてきたのだ。それも回収されていた。これに関しては最期にびっくりするオチがあるのだが、忘れないように。
早く昼食をとらないとディナーが食べられない。そんな思いで12時にはホテル内のカフェ、翌日の朝食の場所へ向かった。
中華や日本料理もあったのだが、中華は娘が嫌い、日本料理は今夜が和食だったので無難なカフェにした。
ランチプレートを頼み、前日のランチも実はハンバーグだったのだが、またハンバーグを食べた。
夜の心配をしつつもデザートにひかれて、なんとまあ2800円もするパフェと、1600円のかき氷も食べた。全部ホテルの部屋付けなのでチェックアウト時が恐ろしくなってきた。
デザートなんてシェアするに決まっているのに、ここのスタッフは気が利かないのか、娘はパフェ用の細長いスプーンでかき氷を、私はかき氷用のスプーンでパフェを食べた。飲み物はシェアしないのに?というツッコミが入りそうだが、これについても最後にすごいオチが待っている。
部屋に戻って、朝食の予約を入れた。そして、部屋でまったり過ごすのだが、16時にはお風呂の時間だ。結局、ホテルにいても忙しく感じてしまう。観光なんてしている人たちはタフだ。ホテルが寝に帰るだけの場所なら良いが、それだけで1泊3万以上もするなんて。できるだけ部屋に籠っていたいと考えるのは貧乏性ゆえだろうか。
お風呂は昨日と同じ。貸切に慣れてしまうと、もう他人が大勢いる大浴場は一生無理だと思った。あ、もう二度と来ないんだった。
これが娘との最後の旅行。なんだか感慨深い。もし、万が一、また旅行するならやっぱりこのホテルなんだろうな。そう考えていた。
夜は和食のコース。場所は朝食ブッフェの食堂だ。こちらも時間ちょっと前に着いたが、すぐに案内された。
と、例のスタッフがまたいた。休憩してるのだろうか気になったが、朝と同じことを言われた。きっと疲れているのだろう。いや、もしかしたら全員に言っている?まさか。
前夜のフレンチはなんなく完食できたが、こっちは違った。量が多い。いや多くはないのだろうが昼食べ過ぎたか。それだ。
なぜかこっちには1600円のスパークリングワインがあったのでそれを飲んだ。もはや1000円台だと安く感じている自分がいた。娘はジンソーダという普段私が飲まないものをオーダー。だがそれも私が飲むことになる。彼女もお腹が満たされていたのでアルコールを飲んでいたら全部食べ切れないと判断したのだ。
スタッフは若くて慣れない人が多い。ほぼ流れ作業のようにサービスされた。フレンチとは大違いだ。というよりも、働いている人がちっとも楽しそうに見えない。ホテルマンってお客様の笑顔がみたいから、とかそういう意思がないとできない仕事だと思う。皆さん、そういう気持ちで就職してるはずなのに、なんでつまらなそうに働くのだろう。私なんかが普通の会社で嫌々働くのとは次元が違うはずなのに謎だ。
でもお腹いっぱいになったことに満足して、部屋に戻って寝た。警報級の雨が降り続いていた。昨夜と同じく私が先に寝落ちしたが、夜中の12時くらいに、娘がのそっと私のベッドに来た時はビビった。え?なに?こっちで寝るの?
結局、朝まで一つのベッドに二人で寝た。これも最後だと思って。あとで娘に確認すると、少しぐらい私がうんざりするというか、不快な思いというか、うへぇとさせてやりたくてもぐりこんだとか。何がしたかったんだか。快適に寝ている私にイラついた?まあそれはどうでもいい。出発時のことを除けば、今のところは何の問題もなく順調だった。
もしかしたらこれが翌朝のフラグだったのかもしれない。
翌朝、7時半にカフェに着いたが、開いていない。嫌な予感がした。しかも営業時間8時からなどと書かれたプレートがある。結局、1分過ぎても開かないのでフロントへ行った。すると8時からだという。どういうこと?7時半と言われてそれで予約したのに?昨日フロントに電話した娘がイラつきだす。私自身も7時半と聞いていたので娘が言い間違えることは絶対にないし、そもそも8時なら時間が遅すぎるので7時からのブッフェのままにしていたはずだ。
モヤモヤマックスの中、いったん部屋まで戻って8時に出直した。ついていない日とはこういう日のことをいうのだろうか。
席に案内され、すぐにオーダーした。2つのセットからいろいろ選ぶようになっていた。コーヒーは先に出してくれとも言った。
そこからだった。私たちの後に来てオーダーした人に先にドリンクや料理が提供されているのだ。普段、こういうことには文句を言わないのだが。言うとしても私がキレるので娘がなだめる場合が多い。それが、今回は娘の方がイライラし始めた。
仕方がないのでスタッフを呼んで、コーヒーだけでも先に持ってきてくれと言う。それでも出てこないのだ。一体、何が起きているのやら。15テーブルしかないカフェで半分も埋まっていない状況で忘れられるというオチだった。
申し訳ございませんオーダーが通っておりませんでした。って。何それ。オーダーって口頭でしただけじゃん。タブレットとか使ってて不具合ならまだしも、スタッフが忘れ去っただけの話。おいおい。
結局、食事が出てきたのが8時40分。我ながらよく我慢したものだ。こういう時って、連れが自分よりキレていると、自分は案外冷静にいられるのだ。要は先にキレたもん勝ち。まあ最後は私もイラっとしてスタッフに言ったのも私ですけど。親が言うべきなんですかね。その時に、本来は7時半だったということも言いました。言うだけ無駄とはわかっていましたが。スタッフも心得ているので、聞くだけ聞いて、謝る。それだけです。はい。お客様の喜ぶ顔はどうやったらみられるのか、考えたことある?
私たちも一応、まともな人種を自負している身なので、タダにしろとか支配人出せとか、そんなことは言わない。でも、ガッカリだ。それが無ければ最高の思い出として(ウソだけど)、帰宅の途につけたのに。
一気に私たちまで険悪なムードに。食べ終わったのが9時半、お昼食べて帰るなんて気力もない。でも娘はランチして帰りたい。私は家に帰っちゃった方が気が楽。言い合った末に、どこかでランチはすることに決めて、なんとなく気分も持ち直して11時のチェックアウトまで部屋ですごした。そう、朝食後からチェックアウトまでの3時間以上の時間も私たちには必要だったのに。以前はその間にまた卓球やったりしてた。まあ今回はしないけど。1時間ちょっとで部屋を出ることになり、あわただしい最後になってしまった。
この際、無駄になった1時間分くらい、部屋に居座ってやろうか。なんて思いつつ、アンケートにガッツリ書いてやろうと、用紙を手に取って愕然としてしまった。こ、これは。昨日書いたやつじゃん。私がわざわざ見えるようにコメント欄を外側にして折っていた用紙が、元通りにされて置いてあったのだ。確かに連泊する客は最後に書くものだから1枚が普通なのだろう。いや、それにしても、置いとく?普通。読みましたって証拠に持っていきなさいよ。
昨日は丁寧に書いたのに、今日はその続きから別人が書いたような筆跡で、文句を書きまくった。そして、バカバカしくなってその用紙ごとゴミ箱に捨てた。もう二度と来ないのだから何か言ってやる必要もなかろうて。部屋をきれいにして、最後に喉を潤しておこうと冷蔵庫を開けた。まだ大丈夫だよねこれ。2日前のペットボトルだが、昨夜も今朝も飲んでるからいいやと、自分のを取ると、もう無くなっていた。仕方がないので娘の方のをもらおうと、これ、飲んじゃうよ?と聞いた。娘はほとんど飲んでいなかったらしく、ほぼ満タン状態だった。
突然娘が声を上げた。それがお母さんのじゃん!!
なんとまあ、私は自分のだと思い込んで娘の方をずっと飲んでいたのだ。ラベルを剥がした方の。最初にうえつけられた、ラベルない方が私の。という思い込みが、電車内で逆になったことをすっかり忘れ、消えてしまっていたのだ。私としたことが。娘はすっかり機嫌がよくなったようだが、私の方はさらに落ち込んだ状態で、チェックアウトしにロビーへ向かった。サヨナラお部屋。
自動精算機にカードキーを差し込んだが、精算できないという。今日ついていない日、確定。
スタッフがやってもダメで、結局、カウンターに案内されてしまった。冗談で、お詫びを言わなきゃいけないからじゃない?なんて言いながら、チェックアウトを済ませる。16万。まあ最後だし。2人で16万て。昔、私の母もいて3人だった頃は3人でもそんなにいかなかったのに。たいしたもんだ。自分。ホテルじゃないし。
っと、やはり予想通りだったようで、最後にごめんなさいを言うためにカウンターに呼ばれたらしかった。朝食の時は本当に申し訳ございませんでした。と。はい。全然関係ないのにそれを言わされたその時の受付の人、お気の毒です。
精算機だったらすぐ終わっていたのに、結局時間かかってんじゃん。やれやれという思いで、ホテルの外に出て、駅へ向かうエレベーターを見ると、なんと点検中で使えないというではないか。
ついてない日、再び確定。回り道するには雨風の中どうなの?と思っていたら、送迎バスに乗れと。で、そのバスは1台しかなくて、今、出たばかりだからあと数分は戻ってこないと。精算機だったら乗れてたかもね。なんて。駅から近いのが利点なのに。時間かかるねぇ。と言いながら、無事に送ってもらって電車に乗った。
お腹ももちろん空かないので、そのまま帰ろうと思ったけど、コーヒー効果でトイレも近く、娘もやはり何か食べて帰りたかったので、大きな駅で降りて、ケーキを食べた。昼時にケーキだけ頼んでしまい、デザートと勘違いされてまた30分くらい忘れられやしないかとひやひやしたが、普通に出てきてほっとした。
トイレに寄った時、手洗い場で自分の顔を見てびっくりした。強風の中を歩いていたので、髪が乱れまくっていた。私の髪はサラサラではない。少し風が吹いて流れが変わると、そのままの状態がキープされてしまうのだ。慌てて手櫛で整えると元には戻るが。
娘に、なんで言ってくれなかったの?ケーキ食べている間もずっと向き合っていたのに。え、あ、いつもの髪型だと思った。って何それ。もういいわ。結局不機嫌なのは私だけかよ。
今度こそもうお腹いっぱいだ。二人で今夜は無しで良い、なんて言いながら再び電車に乗って帰宅した。
重い荷物を持ってもらったおかげか、私の疲労度はそれほどでもなかった。いや、リフレッシュしに旅行してるのに疲労も疲弊もあるわけないのが本当なのだが。身軽に移動できたことがこんなに負担を減らすものかと感動していた。今度から全部もってもらおう。それだったら、お金を払ってでも旅行する?微妙だ。
だいたい、娘がもう付き合ってはくれまい。そんなことを考えながら、洗濯機を回していた。帰ってからせわしなく家事をする私とは対照的に、ソファでくつろぐ娘。これは当然の謎だ。
世の母親は、何故耐えられるのだろう。家に着いた途端、ゴロゴロする家族を横目に、掃除洗濯を済ませておきたい母親はまだ一度も腰を下ろしていない。これが日本の現状だ。おそらく、一般的な家庭では、この後、飯どうする?なんて言われて、キレるか、我慢して夕飯の準備をするか、どっちかなんだろう。
まあ、うちは夕飯は無しだ。
でも夕方にはお腹は減る。必ず。その日はピザを娘が奢ってくれた。もちろんウーバーで配達だ。正直、ホテルなんて行かなくても、これで充分な私だ。このために16万払ったようなものだが、割に合うわけない。
今まで付き合ってくれてありがとう、娘よ。これからは自分の子供と楽しんでくれ。心底楽しめるかは保証しないが。何事も自分が経験しないとわからないものだから。
私の最後の旅。だから良い思い出を書き留めようと思ったのだが。いや、十分私は幸せでした。また何年か後に、またどこかに行きたいと思えた時に、行けるような財力と体力を残しておかないと。行きたい、そう思える確率は限りなく低そうだ。行きたかったなぁなんて後悔しないで済むように、一応、今回が最後なのだと言い聞かせることにする。
避暑地Aもサヨナラ。